◎剣ヶ峰を越えて砂原岳へ

 P2を慎重に下って、ルンゼの上まで登り返した。そこから北側に続いている縦走路の痕跡とテープを頼りに、砂原岳を目指した。
 

  ルンゼの先の最高地点の北峰は、その上を通過するように道は続いていた(1)このあたりからガスが流れてきて、展望はなくなった。
 北峰を下って、最後の岩稜を越える。道はしっかり残っている(2)
 

 最後の岩稜帯を越えた地点(1060m)に「剣ヶ峰山頂」の標識があった。多分、以前は砂原岳から縦走してくると、ここまでは安全なので、ここに設置したのかもしれない(3)
 そのすぐ先から方向を東に変えて尾根の上の道を火口原へと下って行く。
 途中の岩の間から、森町の市街地が見えた(4)


 火口原へ下り立つと、ガスも取れ始め、「←下山方向」「↑剣ヶ峰」「砂原岳→」の分岐の標識があった。しかし、登山道はっきりしなかった(5)
 その先にも「砂原岳→1108m」の標識がたち、目指す砂原岳の龍線が見えて来た。しかし、砂原岳は1112mのはずだが、この標識の1108mはどこの高さなのだろうか?(6)


 火口原の中は、昔はあったはずの道の痕跡ははっきりしない。昔からどこでも歩けたからなのだろう。
 23年前の記憶では、一番奥の岩壁の下に道があり、そこと山頂の間のコルが砂原岳登山道との分岐なので、そこを狙って適当にトラバースして歩いて行く(7)
奥の岩壁の近くまで進むと、登山道の痕跡がはっきりして来る。

9:00、わずか1週間ぶりの一等三角点しかない4回目の砂原岳へ到着。このときは、剣ヶ峰はガスに隠れて見えなかった(8)


 すぐ東隣のピークは、鹿部ロイヤルホテル手前から見える「ゴリラさん」の反対側の顔である。鹿部からの顔の方が風格と神々しさがある(9)
 火口原へ下りて、馬の背へ向かう。途中で振り返ると、砂原岳の全容が見えた(10)


 ふと思いついて、07年の「火山勉強登山会」以来の昭和4年火口を覗きに寄った。その時は噴煙が上がっていたが、今はまったく見られなかった(11)
 火口原の途中から馬の背までは、観測施設建設のときの?古いタイヤ痕まで残るはっきりとした道が続いていた。

◎馬の背から隅田盛へ、そして下山

10:10、馬の背まで戻ったが、幸い誰もいなかった。休みもしないで、馬の背から尾根伝いにはっきりと残る道を辿って、山頂に観測施設の見える隅田盛へ向かった(12)


 10:25、馬の背から15分で、最後のピーク・隅田盛へ到着。剣ヶ峰をバックに記念撮影(13)。ここの三等三角点の点名は「馬の背越」である。眼下には大沼が見える(14)
 ゆっくりししたかったが、羽蟻が体中にまとわりつくので、ほうほうの体で逃げ出すように下山開始。


 馬の背には、登山者の姿が見えた。いろいろ詮索されたり、説明したりするのが面倒なので、そちらへは戻らないで、途中から斜めに下って、直接登山道を目指した(15)
 子どもの元気な声が響く中、9合目の上で登山道に合流。登って来たのは、七飯小学校の宿泊研修登山の5年生だった(16)
 自分も現職時代、幾度となく引率して登ったことを懐かしみながら下って行くと、「あら!」と声を掛けられた。スキー指導員仲間の女子教員だった。

 11:00下山。ちょうど5時間でゴール。思い残すことのない念願の駒ヶ岳の集大成登山だった。
 「この素晴らしい山で、入山規制を続けるのはもったいない。1日も早く規制が解除されて、同じ感動を多くの人々に味わってもらいたいものだ」と思わずにはいられなかった。

 下山後、森町営駒ヶ峯温泉ちゃっぷ林館へ。元同職で、趣味が高じて退職後にそば屋「蕎麦の館がびの」を開いたNoさんとばったり。 今日は定休日で、やはり駒ヶ岳に登ってきたとのこと。こちらが隅田盛を往復している間に馬の背にいたらしい。浴室でしばらくお喋り。


 昼食は、赤井川の肉直販店でレストランも経営している「ひこま豚」へ(17)
 森町のご当地グルメ「森らいす」を注文。ひこま豚は骨付き肉のから揚げだった(18)
  「森らいす」とは、1、森町オリジナルのハヤシライスとする。2、森町産のトマト、ほたて、ひこま豚を用いる。3、ワンプレートにルーとライスを盛り付ける。4、ルーにトマトを用いる・・・というルールに則って作られる。新ご当地メニューとのこと(19)ほかにも、美味しそうなメニューがたくさんあった。次は肉好きの妻を連れて来なくて・・・。

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