長い間、その解禁が切望されていたが、このたび、一般登山者を対象とした初めての「火山勉強会登山」が実施された。主催は駒ヶ岳火山防災会協議会などで、募集対象は、森町、七飯町、鹿部町、函館市がそれぞれ50名にその他の市町50名であった。数日前に新聞に募集要項が掲載されて、函館市の場合は、その日の10時には定員に達したという人気振りであった。趣旨は、駒ヶ岳はまだ危険な山であるという認識を体感してもらうことであるらしい。結局、関係者や報道関係(TV7社、新聞5社)も含めて310数名という大規模な登山会となった。
○320人もの大登山
8:00、我々函館からの参加者は、市役所前に集合。2台のバスに分乗して、6合目駐車場へ。
各市町のバスが集合し、開会式が行われた後(2)。登山開始。知った顔ぶれも多い。後ろに広がる大沼も雲海の下で、
剣が峰は雲隠れたままの中、長い列のゆったりとした登山が続く(3)。
短い人でも9年振りの再訪である。私は砂原コースから砂原岳には15年前に登っているが、このコースからは16年振りである。この日、この山で、「北海道百名山」(山と渓谷社)の完登を迎えるという人もいた。待ち遠しかったことであろう。
16年振りの再訪での一番の変化は緑が非常に多くなっていることである。周りの木々の成長と、上の方の植生の増加に感動する。
どの顔も待ちに待った久しぶりの駒ヶ岳に大感激の表情である。近郊登山や3回の海外トレッキング仲間のIさんと一緒の私も然り(4)(Oさん提供)。
休み休み、普段の倍ものゆったりペースで、馬の背に到着。剣が峰が見えそうで見えないのがもどかしい(5)。砂原岳も根元以外は雲の中である。
馬の背で、駒ヶ岳の概要、噴火の歴史、観測体制等についてのレクチャーを受ける。「今は平穏な状態だが、この山の特徴として、前兆がなく、いきなり大噴火に繋がるので、なかなか解禁できない」という点が印象的であった。
その後、昼食タイムとなる。これまでの海外トレッキングや近郊登山でお馴染みのメンバーで記念撮影(6)。
○火口原と火口群の見学
昼食後は、ガスで覆われた広い火口原と火口群の見学である。広い火口原に長い列が続く。危険箇所にはロープが巡らされている。
広い火口原や火口をじっくり見て歩くのは、小5の息子を連れて剣が峰まで登ったときだから、実に30年振りかも知れない。そのころは、まだ緑が少なく、ゴロゴロと点在する大きな黒い噴石が目立つ荒涼とした風景であった。今では、緑がすっかり多くなっている(7)。しかし、あちこちに火山活動の観測施設が設置され(8)、1998年と2000年の噴火による噴出物で覆われたところや火口の噴煙は、そのころより生々しい状態である(8,9)。
登りは、休み休みのゆたっりペースであったが、下りはほとんど休みなしで下り、登りの半分の時間で下ってしまった。
登山口まで下りて、振り返ると、剣が峰に懸かっていたガスが取れ始めるという皮肉な状況ではあったが(10)、大沼は最後までその姿を雲海の下に隠したままであった。
今回とあと2回行われる(8/10と9/8)登山会は、大沼観光協会や一般登山者の「早く解禁してほしい」という声に対するガス抜きと、この山は危険な山であるという認識を持ってもらうことが狙いのようであるが、そのための関係者の準備と当日のご苦労には頭が下がる想いであった。
どんな状態になったら晴れて解禁になるかは不明だが、一日も早く山が落ち着き、日本二百名山にも選ばれているこの山が、以前のように学校の遠足や登山者で賑わう山になって欲しいものである。