楽しみな山での出会い2006,7,06新設
 一人歩きは、山での出会いも楽しみ且つ印象的である。特に、相手も同じ一人歩きならば、話が弾むことが多い。特にホームページを開設してからは、山での出会いの後、ネット上でのお付き合いが始まるケース、出会った人が私のホームページの愛読者だったというケース、記憶にはないが、後日、HPを見た人から「出会っていました」というメールをいただく・・・そんな楽しい出会いが多い。
 さらに、HYMLの開設後は、お互いにネット上では逢っているが、山で感激の初対面の挨拶を交わす会員との出会いが非常に多い。

お互いの出会いが6年後に判明したganさん
 これまでで、もっとも印象的な出会いは、お互いにそれが6年後に判明したという1994年のピパイロ岳でのケースである。
 山を始めて3年目、日高の山に入って4回目である。まだ日高の魅力をちょっと覗いたばかりの初々しい?ころである。すばらしい天候に恵まれ、見渡す限りの展望に感動しながら伏美岳を越えてピパイロまでピストンした。

 頂上に近付くと、一人の男性が休んでいるのが見える。「この感動を分かち合える人がいる」と思うだけでうれしい。反対側から登ってきたという30台後半の「日高が大好き!」が全身からほとばしり出ている男性である。こちらはまだ山を始めて3年目である。1時間ほども日高の山のことをいろいろ教えていただき、カメラのシャッターを押してもらって別れた。その写真や出会いのことも1998年に開設したHPにアップしておいた。

 やがて時は流れ、2000年、釧路の女性からHYMLに「9月4日にピパイロ岳に登ってきました」というメールが流れる。確かめてみたら私が登ったときも同じ9/4である。うれしくなって、レスを入れながら、ふと、そのときの男性の姿を思い返してみる。地下足袋、眼鏡、日高の山にもっとも必要な体力づくりの話・・・もしかしたら?・・・・1998年に函館の知人から紹介されて、ネット上でのお付き合いが始まり、開設時にHYMLへも誘い、その後、何度も一緒に山に登ったり、飲んだりと親密なお付き合いを続けてきた札幌のganさんの姿とダブルものがある。早速、メールを入れる。

 返ってきた返事は、「手帳の記録を調べてみたら、確かに同じ日にピパイロ岳に登っています。頂上で道南訛りの男性と1時間ほど山談義をしたのを覚えています。あれが、グチパパ(HYMLでのあだ名・坂口papaの略)だったんだ〜!」

 このたび(2006,7,6)、彼の著書『ganさんが遡行(ゆく) 北海道の沢登り』が出版された。その中に1ページを割いての「コラム」に私との出会いを書いてくださった。彼にとっても印象的な出会いだったのであろう。そのときは30代後半だった彼も、今ではそのときの私と同じ年齢になった。

非常に多い、myHPの愛読者だったというケース
 このケースは今までかなり多くある。話の中で「函館から来たこと」「ホームページの話」「名刺交換」などが手がかりとなって判明することが多いが、中には、私の姿を見て「もしかしたら・・・?」と話しかけられることもあるが、突然「函館の坂口さんですよね。いつもHP見えています!」と挨拶されたこともある。中には、「一緒に写真を撮らせてください」と頼まれたことも何度かある。照れくさいが、ちょっとした有名人気分でそれに応じる。

○そこに居合わせた4人全員が愛読者だった札内JP
 2002年7月に札内岳に登り、札内JP(ジャンクションピーク)まで進んで、そのすぐ下にテントを張った。暗くなってからテントのそばを2人の男性が通る。「こんばんは!」と声を掛けられて、空気穴から覗くと、一人の男性は、3月、美笛峠から漁岳へ縦走時の途中で初めて逢った札幌のSaさんである。そのときも「いつもHP見ています」と挨拶されたが、向こうでも驚いている。その同行者の音更町のtoさんもまた私の車の車種まで覚えているほどの熱烈な愛読者とのことで感激される。「札内岳の頂上に着いたときに、二人で、この札内岳は坂口さんより先に登れたねぇと話していたのに・・・」と悔しがっていた。

 翌朝、札内JPで3人で話をしていると、それを耳に挟んだ単独行の男性が、「函館の坂口さんですか?いつも拝見しています」と挨拶され、今度は4人で山談義をしているところへ到着した北見山岳会のリーダーらしい男性から「私もいつも見ていますよ!」と挨拶される。この北見山岳会の男性とは、その後お付き合いが始まり、これまでに何度か北大雪の山を中心に同行いただいている現在斜里岳「清岳荘」管理人の熊ぷ〜さんである。

○「私が頼まれてシャッターを押してあげた写真が・・・・」の大千軒岳
 今では私の花の先生となっている札幌の花ママ&花パパ(現在USA在住)との初対面も印象的である。1999年の数人で出かけた大千軒岳の頂上で出会ったご夫婦に「シャッターを押していただけませんか?」と頼んだ。その後も、相前後して下山したので話もした。

 数日後、「旦那が、お前がシャッターを押してあげた写真がHPアップされているよと叫ぶ。あの人がsakagさんだったんですね〜・・・・分かっていれば、挨拶できたのに・・・・いつも、お世話になっています。」という内容のメールが届いた。その後、開設時からHYML仲間となり、何度も同行したり、飲んだり、花の鑑定では非常にお世話になっている。

 ご夫婦のHP「花ママと花パパの野の花 山の花 北海道」「フギレオオバキスミレ」のページにこの出会いのことがことが記述されている。

○愛読者との最初の出会いが叶った感激の白雲岳
 1999年の白雲岳頂上で、デジカメで写真を撮っている男性に出会う。デジカメを持っているということはインターネットをやられているだろう思い、1年ほど前に開設した自分のHPのことを話した。「あ、それ、いつも見ていますよ。普通の人が2日ぐらいで縦走するところを1日で歩いてしまったりする函館の方ですよね。」と来た。う〜ん、間違いない・・・いつか、山でこのHPを読んでくれている方と偶然にでも逢えたら・・・と思っていただけにと大感激である。旭川のSさんという方であった。また、そばにいた東京から来たという若い男性にも、暇なときにでも覗いてくださいと名刺を差し上げる。

 数日後、二人からメールが届いたが、思いもしなかった横浜の方から、「HPに書かれていた東京の男性は私の友人で、前日一緒に白雲岳避難小屋に泊まって別れました。いつも拝見しています。ニアミスで残念です。」という内容のメールが届いた。

アップしたHPを見て、「お逢いした○○は私です」とメールといただくケース
 このケースも数多くある。一番最初は、98年9月にこのHPを開設し、その後1年近くは、それまでに登っていた山を次々にアップしていた。98年7月に天人峡からトムラウシをピストンしたときのことをアップしたときに、「このトムラウシがアップされるのを首を長くして待っていました。多分途中で逢ってお話をしたのがsakagさんではないかと思っていたのですが、やはりそうでした。あの時はテン場の情報をいただきありがとうございました。」というメールをいただいた。

  2000年にシシャモナイ(苔の洞門)からの樽前山のページで、「途中出会った932峰を樽前山と勘違いした二人連れは、地図もガイドブックも持たず、ドームが見えないこともあって、自分たちの目指す方向が全然分からないらしい。入り口でもらった地図を譲り、それをもとに説明してあげたら、凄くうれしそう感謝され、こちらの方が戸惑ってしまう。」と記載したら、HPのことは全く口にした覚えがないのに、翌日に「地図も持たないで歩いていた二人は私たちです。あの方がsakagさんだったのですか・・・ありがとうございました。」という内容のメールが届いて、それ以来、逢った人の悪口や非難めいたことは書けないな〜と肝に銘じた。

 このほかにも、たまたま、出会った人の服装や様子を書くことがあるが、それを読んだ方から、「書かれていた○○は私です。分かっていればご挨拶できたのに・・・いつもお世話になっています」というメールをいただくことが結構多い。また、「同じ日に同じ山に登ったので、どこかで絶対逢っているはずです」とのメールも多い。


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