満足感・達成感


 中高年を山へ向かわせるもの? もしかして・・・
 現在の中高年の登山ブームは・・・ただ単に健康志向だけなのだろうか?
 自分もまさに、その一員であり、確かに、山に登り始めたきっかけは健康増進・老化防止であった。一人歩きにこだわったのは、仕事の面で、自分の力だけ成し遂げる喜びを味うことのできる立場や年齢でなくなったことが一つのきっかけである。しかもで、他人に気を使わずに、自分の企画で、自分の能力だけで達成感や充実感を味わえること・・・・それを求めたら一人歩きになっていたのである。
 
 一人歩きではなくても、我々の年代を山に向かわせる要因のひとつにこれまでの人生へ重ね合わせ部分があるような気がしてならない。
 
〜その1〜
 中高年・・・人生も後半になり、公私ともに、これまで何度となくいろいろな目標に向かって頑張って来た世代である。そのプロセスで、どれだけその目標を順調に達成することができたであろうか?例えできたとしても、かなりのうよ曲折もあったろうし、遠回りや後戻りしたもあるであろう。もちろん、目標達成できずに挫折感を何度も味わってきたことも・・・・。そんな辛さの経験を山は癒してくれるから、山へ向かうのではないかと、最近思うようになってきた。          
 山は裏切ることがない。よほどのことがない限り一歩一歩が無駄になることがなく、確実に目標に向かい到達できる。うよ曲折も後戻りもほとんどすることがなく、目の前に続いている道を辿れば、多少の負荷はあるもののその負荷も自分が背負えば済むことで、やがて快い増幅された達成感へと変わる。
 
〜その2〜
 山は子供に戻れる・・・もしかしたら、昔どこかに忘れてきた忘れ物を取り返しに山へ向かっているなんてことは・・・? 未知への興味と発見の喜びを求めての好奇心、冒険心、探求心、勇猛心、そして、自然のままの自分などなど・・・。山で出会う我々世代の人間は、みんな子供のような喜々とした純な顔をしている・・・・。

 無意識にそんなことがわれわれ世代を山へ向かわせているのではないだろうか・・・?
 少なくとも、自分には明らかに当てはまることであり、若いころ登った山とはひと味違った何かがあることは確かである。

山へ行って元気をもらう
  「行け、山は元気をくれる」「癒しは山にあり」「山は元気の巣」・・・これは、『花の百名山』の著者・今年90歳になる田中澄江さんが昨年出した著書『山は命をのばす』の目次の中で目にする文言である。まだ現役で、仕事もばりばりこなし、忙しい中で時間を作って山を歩き回っている方の言葉だけに説得力がある。

  この本を読んで以来、私は、「山へ行って元気をもらってくるよ。」と言って山で出掛け、「Sさんの若さと元気の秘訣はなんだね?」という問いには「山でしょうね。(本当は楽天家でバカなだけ)」と答える。はつらつと仕事をこなして、若さを維持している人は、多かれ少なかれいい趣味を持っている。若い頃から続けてきている私のスキーも、仕事へのエネルギーのつもりで続けてきた。
 
 しかし、山からは、精神的にも、肉体的にも若さや元気をもらって「若返られる」ような気がしてならない。これは、医学的にも自然療法とかで証明されているらしい。 50代半ばにして、前日も満足に寝ないで、10時間も歩いて、また7時間も運転して帰って来る。とくに、帰りの運転で眠気にも見舞われず、逆に疲労が抜けていくような感覚は、絶対「山でもらってきた元気」だと思えてならない。そして、1週間かけて疲れを抜いてまた・・・なんだ、山のためだけの元気?・・・仕事は?・・まあそれなりに若さと元気で・・・。
 
 90歳の少女・田中澄江さんは言ってます。「この騒がしい、薄汚れた世間から、せめて1ケ月に一度でも抜け出して、大自然の中に身を置くことは、いのちの救い、いのちの癒し、いのちの糧になる・・・」と。でも、田中さんは、一人歩きには大反対です。山に命をもらいに行ったつもりで、なくしちゃうのが一人歩きだから・・・ウ〜ン、それでも、山の元気を独り占めできそうな気がする一人歩きは止められない。慎重に、慎重に・・・。

山で元気に歩く
  「歩くのが速いですね。」「凄い体力ですね。」・・・これは、このホームページで自分の山行記録を公表して、よく寄せられる言葉であり、山でもよく言われる言葉である。しかし、他人やタイムと競争して歩いているわけではないし、自分のペースで、自分では十分楽しんで歩いている結果なのである。景色だって、花だって楽しむし、小鳥の囀りにだって目を運ぶ。写真だってたくさん撮ってくる、山行記のためのメモだって取る、人と逢えば必ず話しかける・・・。と言うと、「じゃ、走って歩いているんでねぇのが?」と口の悪い輩はのたまう。そんなことないって・・・・。
 
 結論的に言えることは、「とりあえず、今は気持ちに体がついてきてくれている」現象なのであろう。ちょっとその「気持ち」を自己分析的に述べてみたい。、

@  まず、元来せっかちな性分で、目的を持つと速くそれを成し遂げないと気が済まないこと。(このPCやHPへの取組みもそうであるが・・・仕事も・・?) 待つこと、守ることが大の苦手、元気だけが取り柄のおちょこちょいで軽薄短小、あぶないタイプ。・・・よくいるでしよう、そういう人間、そういうのが山にハマっただけのこと。

A  「遊びのためには年休はとらない」というクダラナイこだわりを持って、休日利用のみで北海道の南端から出掛ける。せっかく出掛けたのだからできるだけ多くの山を歩きたいということで、確かに無理していることは否めない。(好きなことをするのに、他人からとやかく言われたくないこともあるが、立場上とりづらいのが現状)

B  一人歩きは休憩時間が短い。(お喋りする相手がいないし、遅い人に合わせる必要がない)

C  好奇心が旺盛で、先にある楽しみの発見への期待感が強い?(そのコースの中に小さな楽しみを数多く作っておき、それを小さなステップの目標にして、ひとつずつクリアしていきながら、小さな満足感や充実感を味わいながら歩く・・・目標が頂上だけなら気持ちが滅入ってしまう)

 では、その体力を維持・増進のために楽しみながら心掛けていること。

@  できるだけ間隔を空けないで山に登る。(これが一番、そして、それができればあとは何も心掛けなくてもいいのだが、なかなか・・・)

A  負担や義務感を感じない程度の早朝ジョギング。(最近、PCを始めてからめっきり減ったことが心配の種)

B  なんでもよく食べ、よく動く。(口から余るものはない。宴会料理は残すことがない。そもそもは食べたい、飲みたい、でも太りたくない・・・だから体を動かす・・・体重65kg以下、体脂肪20以下の維持がひとつの目安)

C  時間的余裕があるときは、とにかく歩く。(1時間以内で歩けるところは歩くための時間を作っても歩き、建物の中は階段を上る)

D  冬もスキーを楽しむ。最近は意識してのクロカンスキーで汗を流す。とくに自分より若い者と一緒に滑り、いたわりの心遣いをされないよう心掛ける。

自分の力で完遂できる喜び
 一人歩きの快感の一番は、何から何まで自己で完遂する満足感と達成感にある。山選びから始まる計画づくり、登山、登頂、下山、記録の整理、それぞれに快感はあるが、トータルとして、自分の意志と体を通して自分のプランを実行できる充実感に満ち溢れている。下山した後、その山を振り返って眺めたとき、有森選手でなくとも自分を褒めたくなる。そして、満足感や達成感はより大きくなる。

その極み・カムイエクウチカウシ山 
 どの山にもその山でしか味わえない満足感や充実感はあるが、これまでの一人歩きの極みの山は?と問われれば、迷わず、「日高主稜線の盟主カムイエクウチカウシ山への日帰り登山」と答える。日高の山に登る度に、その中央部に聳え、目を引くピラミダルな姿は、そこへ行き着くほとんどが沢歩きと滝の高巻き、その夏の2件の滑落事件、そして、ヒグマによる襲撃死亡事件のあった山であるが、自分の力量で可能な 「一人歩き」の最終目標にさえなっていた山である。普通は、1泊か2泊のコースであるが、最初から日帰りと決めて臨んだ山行である。天候に恵まれ、途中の沢の正面に連なる白く輝くいく筋もの滝、その上の紅葉に彩られた八の沢カール、そして、さらにその上に聳えるカムエクの姿を目にしたときの、その神々しさに全身を打たれたような感動は、今でもはっきり覚えている。びくびくしながら辺り一面のヒグマの真新しい掘り返しの上を踏んで通過し、誰もいない頂上に立ち、それまで逆に眺めていた山々を見渡したときの感動は、それまでの山行で味わった最高のものであった。

結果的に、来夏4度目の挑戦となる、「北海道百名山」中、最も遠い山・1839峰に立ち、「一人歩き完登・ゴール」が適えられたとき、さらにその上行く満足感と達成感の極みになることは間違いない。

よく残る印象、山行記、そして発信
 一人歩きゆえに、すべて、自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分で判断するために、グループで歩くより、見落とすことは多いかも知れないが、展望や登山道などの印象が強く残るような気がする。 グル−プ登山であれば、そのときどきの感動を、瞬時に他人に伝え、共有することができる。しかし、一人歩きはそれができないだけに、じっと温めて持ち帰り、ワープロに山行記を打ち込む。撮ってきた写真はアルバムに整理し、たまにそれを開いては、読んだり、見たりしながら、その山での感動を反芻し、思い出に浸るのも満足感に酔えるひとときである。
さらに、新しい自己満足の世界、それは、4ヶ月前に初めて触わったパソコンによるこのホームページ作りである。

下山した後の温泉が最高
 北海道には温泉が多い。それも、最近の温泉ブームのお陰でかなり増えているためか、ほとんどの山の下には、今回はどこにしようかと迷うほどの温泉がある。初めの計画段階から、下山後、どこの温泉に入るか考えることも楽しみである。それが秘湯であれば最高である。
 快い疲労感に浸りながら、目を瞑り、ゆっくりその日の山行を反芻し、満足感と達成感に酔う。そして、直ぐ帰途に着く必要がなく、ビールが飲めればこれ以上の幸せはない。


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