『一人歩きのススメ』的
山行プロフィ−ル
1991(平成3)年〜「一人歩き」のきっかけ〜
 40代も後半になり、若い頃からいろいろな運動を楽しんできたが、相手のいるスポーツはだんだん年齢的にも環境的にも難しくなって来る。たまたま、職場の健康診断で「血糖値と中性脂肪がやや高め」のありがたい結果をいただく。ただでさえ、食べたい方であり、飲みたい方である・・。当然、運動不足+肥満=成人病恐怖症が襲ってくる。それでは、体を動かすしかない。まず、ジョギングに取り組むが、その延長上で思いついたのが、若い頃、職場で気の合う仲間で出掛けた夏山登山である。しかし、当時、職場に登山を趣味とする仲間もいなかったし、たとえいたとしても、2、3年で職場が変わる立場や年齢になって、長く続けるには、「自分の都合で、自分のペースでできるスポーツ」が理想である。だから、山岳会への所属は初めから考えなかった。

 そこで、この年に、狩場山、遊楽部岳、乙部岳の登山会に一人で参加した。しかし、人の後ろにただついて歩くことのつまらなさ、ペースが遅いこと、人がごちゃごちゃしていることなどが嫌で、それっきり登山会への参加は止めにした。ただ、この3回の登山会で体力に自信が持てたこともあり、次の年(1992年)から「一人歩き」に挑戦することにした。やがて、すっかりその魅力に取りつかれ、だんだんエスカレートし、「初挑戦の山は一人歩きで」にこだわり続けて11年目を迎える。

1992(平成4)年〜「一人歩き」を始める〜
 初めは、近くの日帰り可能な「道南の山」中心に、比較的一人歩きでも心配ない山とコースを選んでいたが、ひとつひとつの不安や緊張感と戦いながらの結果が、新しい自信となり、それが新たな挑戦意欲に変わり、「夕張山系」「道央の山」にも足を伸ばす。階段を一段づつ上がって行くように、だんだんその魅力にハマリ、難きに向かっていく自分が怖い。        

1993(平成5)年〜八雲町に転勤し、少し近くなった遠くの山へ〜   
 南茅部町から八雲町に転勤になる。道央方面に出掛けるのに、1時間40分の短縮は大きい。日帰りの範囲が「道央の山」へと広がり、土曜日の午後に大雪の山の登山口まで走ることも可能になり、連休や夏休みを利用して「大雪の山」へ。

1994(平成6)年 〜日高山脈に足を踏み入れ、ますますやみつきに〜   
  「北海道の山は、最後は日高にハマる」を味見したくて足を踏み入れる。ナイフリッジの稜線、険しく、沢ぞいの標識もない登山道・・・「一人歩きの醍醐味」を味わうには最高の舞台である。また、山中でのテント泊も経験し、ますますエスカレートし、やがて、北海道内の登山道のある特色ある山を全部登り尽くしたいという欲求が目標へと変わってゆく。 この年は、天候に恵まれ、「日高」「道央」「道東」「道北」と範囲がを広げ、「北海道百名山」だけでも26山も登る。   

1995(平成7)年〜計画倒れが多かったが、それなりに〜
 この年は、天候に恵まれなかったこと、母親の入院等で、思うように歩けなかったが、多かった札幌出張の前後の週末を生かし、札幌を起点とした山行が中心であった。 それでも、幌尻岳や石狩連峰なども制することができた。

1996(平成8)年〜残っている遠くの山を精力的に〜
 函館市に転勤となり、また遠くなってしまったが、連休や夏休み利用で、未踏の遠くの山へ出掛ける。何度か計画し悪天候で撤退していた念願の日高のカムイエクウチカウシ山、チロロ岳を初め、東大雪の山々、利尻山を中心とした「道北」の山々などが印象に残る。この年、これまで5年間の山行記を『ひとり気ままなエクスタシ−』として手作りで50冊製本し、知人に配布する。これが、このHPの土台である。この時点で「北海道百名山」は89山を登破。

1997(平成9)年〜これまで登った山の再訪が中心〜
 道内の登りたいと思っていた山を、ほとんど登り尽くし、これまでの山をコースを変えたりしながら、再訪することの多い年であった。それでも夏休みは、北戸蔦別岳から日高第3峰の1967峰の往復と七つ沼カ−ル1泊、1839峰を目指してコイカクシュサツナイ岳まで登って雨で無念の撤退などが印象に残る。「北海道百名山」は4山に留まり93山となる。

1998(平成10)年〜「北海道百名山・一人歩き完登」を目標に〜
  登りたいと考えていたほとんどの山を登ってしまって、新たな山への目標を失いつつあったが、、とりあえず、あと7山残っている「北海道百名山・一人歩き完登」を当面の目標に設定する。夏休みに、これまで2年連続悪天候で途中撤退している日高の1839峰をそのゴールに据え、6、7月に多く残している「道北」の低山をかなり無理をして駆け巡った。そして、迎えた7月下旬、「3度目の正直」にかけ、ゴールとなるはずの念願の1839峰は、登山口で2晩粘ったが、「2度あることは3度ある」の結果に終り、リーチのまま来年の夏休みへ繰り越しとなっている。
 そして、5月から始めたパソコンであるが、8月末からこのホームページづくりにに取り掛かる。  
 いつも一番稼げる8月は仕事や天候の関係で一度も山に行くことができなかった。秋に未踏の近くの山とご来光を仰ぎに羊蹄山に夜間登山気分を味わい一泊する。
                                    
1999(平成11)年〜「北海道百名山・一人歩き完登」ゴール、そして〜
 セキュラフィックスというビンディングで山スキーもどきを始め、春山の楽しみを知る。  
1年リーチ状態で待たされた1839峰での「北海道百名山・一人歩き完登」ゴールを果たす。
インターネットで知り合った山仲間と6回のグループ登山を経験する。
初登頂の山の数〜合計148山

2000(平成12)年〜冬山が充実、夏山は不完全燃焼に終わる
 3月に山スキーをついに購入し、新たな目標として、北海道新聞社発行の「北海道の百名山」と合わせて「北海道119山」完登ねらいで、天候に恵まれたGWは春山スキー登山三昧。夏山はいろいろな事情と天候に恵まれ恵まれなかったことなどで不完全燃焼気味。ただし、北海道の山MLの仲間とのオフミ登山が多かったのも今年の特色である。
初登頂の山の数〜合計164山
2001(平成13)年〜妻の癌発見、そして死・・・上半期だけの山に終わる
  6月に妻の癌が見つかり、余命3ヶ月の宣告。6月上旬以降の山絶ち祈願も空しく11月死亡・・・上半期の山のみであったが、山スキーと残雪期のつぼ足で、初めての山を12山増やす。
初登頂の山の数〜合計176山

2002(平成14)年〜妻の忌明けで7ヶ月半振りに再開し、かなりハードな充実した山が多かった。
 1月26日に白井岳が再開の山となる。連休が多くなり、遠くまで出かけることができるようになり、これまでの中で日数も登った山の数も最高を数えた年である。とりあえずの目標であった、「北海道200山」も突破し、新しく「北海道300山踏破」が目標になる。また、道新の『北海道の百名山』も一気に5山踏破し、ピリカヌプリを残してリーチとなる。また、だんだん、メジャーな登山道を登る山は限られて来るので、どうしてもマイナーな山が多くなってくる。当然、情報はインターネットが中心となって来るが、それもステップアップということで、喜ばしいことであろう。また、単独行が初めて5割を切った年でもあった。
初登頂の山の数〜合計213山
2003(平成15年)〜マイナーな山や誘われて沢からのマイナールートが多かった
 今年の一番の思い出は、北海道の「百名山」118座完登を目指し、「山の時計」のEIZI@名寄さんと二人で、夏時期はおそらく誰も歩くことのないであろう3泊4日の体力勝負の神威岳からの藪漕ぎ稜線越しにねらったピリカヌプリである。しかし、日高地方に莫大な被害を及ぼした台風10号に追っかけられ、ソエマツ西峰で断念してエスケープルートからソエマツ沢へ下りたが、神威岳からは予想を超える超ハードな藪漕ぎであった。いろいろな意味でおそらく今後もこれほど心身共にハードな経験をすることはないであろう。
 また、今年の特色は、私の山数を増やす応援団を自称するマイナーな山ばかり踏破している「地図がガイドの山歩き」チームの西條さんと久野さんとの同行登山が5回9山と非常に多かったことである。そのうち、『ガイドブックにない北海道の山50』の著者・八谷和彦さんから誘われて1山。北見山岳会の「山の旅人〜Wanderer〜」の熊プ〜さんに誘われて2山。それらは山スキー登山以外はすべて沢からのアプローチで、とても一人では行けない山ばかりであり、懸垂下降もついに初めて経験する。
初登頂の山の数〜合計242山
2004(平成16年)〜定年退職を迎え、十勝に仮住まいして山三昧の生活〜
 年退職を迎え、4月下旬から、山三昧の生活を求めて、これまで遠かった日高山脈、大雪山系、道東の山々が日帰り圏内の十勝(音更町)に9月末までアパートに仮住まいをして、徹底的に登りまくりった年である。これまでは休日のみの山であったが、天気のいい平日にも登ることができた。お陰で、「四国遍路」に出るまでの9ヶ月であるが、登山日数65日(うち単独行39日)で95山、そのうち初登頂の山57山という充実した1年であった。
 とくに、印象の深い山は、昨夏猛烈な藪漕ぎ登山と台風に追われ敗退したピリカヌプリへの、昨夏と同じEIZI@名寄さんとの残雪期の再挑戦とその登頂である。おかげで、一つの目標であった「北海道百名山118座完登」を果たすことができた。
 さらに、念願のカムイエクウチカウシ山の北面とカムイビランジの花と初対面ができたエサオマン〜カムエク〜コイカクの3泊4日の充実の縦走などが印象に残る。
 さらに、年末に今シーズンの山スキー初登山で、一つの目標であった「北海道300山」を突破することができた。
 初登頂の山の合計 301山

2005(平成17年)〜念願の海外トレッキングや道外の山へ〜)
 5/3に山スキーで転んで右肩の腱盤損傷を患い、沢登りと藪漕ぎ登山を自粛した1年であったが、北海道の山にこだわりながらも、3月にネパールヒマラヤ・ランタン谷トレッキング、7月にヨーロッパアルプス・トレッキングの海外トレッキング、5月に屋久島と11月上旬に東北、下旬から12月中旬まで九州の山に進出した。それらを含め、初めて登山日数が100日を越えた。
北海道内初登頂の山の合計 326山

2006(平成18年〜道内は沢からのアプローチが多く、海外トレッキングと本州の山も2回ずつ〜)
 沢登りと藪漕ぎ登山を自粛した昨年の反動からか、沢靴を11回も履いてのハードな藪山が多く、道内初登頂の山を36山増やすことができた。特筆は、2年越しの念願だったペテガリ岳〜コイカクシュサツナイ岳の縦走が叶ったことである。そのほか、4月のエベレスト街道トレッキングと7月の中国・四姑娘(スークーニャン)山麓フラワーハイキング、10月の紅葉の北東北と12月の陽だまりの南関東の山々・・・残念なのは9月の北アルプスへの初遠征は秋雨前線の停滞で観光旅行に終わったことである。
○北海道内初登頂の山の合計 366山

2007(平成19)年〜日高主稜線上の全山踏破、念願の北アルプスと東北の山、さらには海外も2回〜
 例年になく、道南の700m超峰狙いの雪山と藪山が多く、道内初登頂の山を37山増やすことができ、また、山行日数が100日を超えた。特筆すべきは、北日高の神威岳で、日高主稜線上の佐幌岳〜豊似岳間の地図上に山名掲載の全山を踏破できたこと。自分の実力では登れないと半ば諦めていた道南の秘峰中の秘峰〜狗神山と岩子岳に登れたこと。また、残念だったのは、主稜線上からナメワッカ岳を狙ったが、天候と体調に恵まれずに、ナメワッカ分岐で撤退したことである。
 さらに、念願の北アルプスに二度出掛け、その帰途に東北の山もいくつか登ることが出来た。また、海外もネパールとニュージーランドの2回。
○北海道内初登頂の山の合計 403山
2008(平成20)年〜大腸癌を乗り越え、4回の本州遠征をこなし、「日本三百名山」踏破を意識〜
 青天の霹靂で見つかった大腸癌・・・しかし、結果的に極めて軽症で済み、その後遺症的なものは一切なく、むしろ体質的に改善されて、より快適な状態で再び山に戻ることができた。心配してくれた皆さんを安心させたいという思いと「また山に戻れた」という嬉しさから、2ヶ月間のブランクはあったが、山行日数がこれまでで最高の112日を数えた。登頂ピークも130座を越える。
 中でも、癌春人生の新たな目標として、「日本三百名山踏破」をはっきり意識し、4回も本州遠征に出掛けた。4回とも天候に恵まれて、新たに72座を踏破できた。
 
○北海道内初登頂の山の合計 429山
○日本三百名山〜新たに72座を加え、164山(百61,二百58、三百45)
2009(平成21)年〜「癌春人生」2年目、益々元気に、3回の本州遠征も含めて107日で158座踏破〜
 「癌春人生」2年目・・・幸い後遺症も転移もなく、益々元気に山三昧の1年。山行日数は昨年より少ない107日だが、登頂数は158座とこれまでの最多を記録。 道内初登頂は、道南の秘峰が多かった。中でも長い間の念願だった沖沢山や鍋岳を踏破することができ、道南700m超峰76座中残り4座となった。
 「日本三百名山」は、南アルプスなど、3回の遠征で、82座増やして247座となり、日程さえ取れれば、来年中の完登も視野に入って来る。

○北海道内初登頂の山 35山、合計471山&撤退2山 
○日本三百名山〜新たに82山増やし、合計247山(百84、二百82、三百81>

2010(平成22)年〜念願の「日本三百名山」完登が叶い、道南の山も500山突破した記念すべき年〜
 4回の遠征で、残りの山々を精力的に登り、最後に残していた富士山で、退職後の夢だった「日本三百名山」完登が叶った。また、これまで登り続けてきた北海道内の山も500山を突破した記念すべき節目の1年。しかし、11/7の沢納めで滝から転落し、むち打ち症に罹り、それ以降は治療に専念し、事故で初めて山を中止しなければならなかった年でもある。
 その事故もあり、山行日数は4年ぶりに山行日数が100日を割り、92日であった。

○北海道内初登頂の山 24山、合計501山
2011(平成23)年〜むち打ち症が治ったら2回目の大腸癌で出遅れたが、無事復帰〜
 前年11月上旬、滝から滑落しむち打ち症に罹る。約3ヶ月半ほどで治り、山を再開したと思ったら、2度目の大腸癌が見つかり、手術入院・・・・。結局、雪山山シーズンはひとシーズン棒に振った。
 幸い大腸癌の方も、前回よりもっと早期発見で、大腸が合計で55cmも短くなったにもかかわらず、まったく後遺症もなく、薬の世話にもならずに、山に戻ることができた。
 退院後約2週間の5月上旬から再スタート。遅れを取り返すべく、6月は良いペースで登ったが、肝腎の7〜9月は天候に恵まれなくて、計画倒れが非常に多く、回数を稼ぐことができなかった。
 そのせいと本州遠征が1回だけだったこともあり、結局山行日数は、退職後最低の69日に留まってしまった。
2012(平成24)年〜山を始めて20周年を迎えた記念すべき年、拙筆による新聞連載開始〜
 山を始めて20周年を迎えた。その記念すべき年。6月から、北海道新聞札幌圏版の隔週金曜日、拙筆による「ほっかいどう山楽紀行」の連載をさせていただくことになり、年内に16山を掲載できた。
 また健康にも恵まれ、3年ぶりに山行日数を100日に戻すことができた。しかし、日数を稼げるはずの夏場は、天候に恵まれず、思うように登れなかった。
本州遠征は、ハプニング発生で途中断念の大峯奥駆道縦走と下北半島の沢と山の2回だけだった。また、単独山行の日数がグループ山行の日数を始めて下回った年でもあった。
 北海道内初登頂の山は、39山、合計 556山となった。
2013(平成25)年〜昨年に引き続き、100日超えが叶い、テレビ放映のための羊蹄山密着取材登山も〜
  昨年6月から連載させていただいている北海道新聞(札幌圏版)の隔週金曜日の「ほっかいどう山楽紀行」は41回を重ね、継続中である。また、生涯初めてTV番組のための密着取材登山で羊蹄山に登り、TVに放映されたことも思い出となった。
 今年も山行日数はかろうじて100日を超えることができた。その中で道内の新ピークは32山増やすことができ、588山となった。
特に、テント泊の縦走装備での山行は3回と多かった。
繋がっていなかったオプタテシケ〜トムラウシ山間(2泊3日)、飯豊連峰循環縦走(2泊3日)と昨年に引き続き大峯奥駈道(南)(3泊4日)である。飯豊連峰縦走も含めて、東北の山々を2週間登り歩いたのも印象に残る。
特に冬山は、「山楽紀行」の取材を兼ねた山も6山ほどあった。
 この他には、3月の阿寒湖付近の山々、5月下旬の増毛山系の山々、6月のHBCテレビの密着取材の羊蹄山、
9月のユニ石狩岳〜音更山の再訪、藪山仲間のお陰で登れた鬼刺山などが印象に残る
2014(平成26年)〜山行日数は100日超えたが、齋藤浩敏さんの捜索活動や低山や登頂なしの山が多かった〜
 今年も山行日数は、かろうじて100日を超えることができた。しかし、低山や登頂しない山行も多く、テント泊の縦走登山もなく、どちらかと言えば不作の年だった。
道内の新ピークも21山しか増やすことがでず、619山となった。
 3月上旬〜4月上旬は、毛無山〜設計山の縦走中に行方不明となった岳友・齋藤浩敏さんの捜索隊長としての活動が続いた。道南地区やHYML仲間との出会いや協力が財産となった。
 4月中旬から自分のための山を再開。本州は、10日間にわたる「熊野古道(中辺路・小辺路)の歩き旅」だけだったが、連日山越えのルートで、結構歩き応えがあった。一昨年の6月から始まった北海道新聞(札幌圏版)連載の「ほっかいどう山楽紀行」は65回を重ねて継続中である。また、12月発売の『山と渓谷』1月号の特集「100人が選んだ日本の名ルート100」の100人に選ばれて掲載された。

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