富山(160)・屏風山(131m)・丸山(188m)・焼山(380m) <木古内町>
単独 18.5,15
木古内町の山で登り残して薮山低山4山を踏破すれば、木古内町の山を全部登り尽くすことになるので、今回の計画となった。
○富山(165m) <登り1時間、下り25分>
この山は、泉沢駅の北側に位置する山である。頂上のすぐ横まで、地形図には点線が記載されている。それを利用して登った(1)。泉沢駅の裏の林道へ入る。奥で江差自動車道の工事が行われていた。最初は工事現場のトンネルを抜けて奥の林道へ入ってみたが、とても車で走行できる林道ではなかった。そこで、工事現場手前の分岐に車を置いて右の工事現場へ続く道を進む(2)。
作製中のトンネルの先の林道が富山へ続く(3)。人工林の中の林道を進む。途中で地図にはない新しい伐採道に出る。その右を進んでしまう。しかし、予定の尾根から外れているので、尾根を横切るところまで戻った。尾根の上には、古い林道跡が続いていた。これが地図上の点線だった(4)。
足下には、タチツボスミレやチゴユリ(5)が咲いていた。古い林道跡は頂上の東側で終わっていた。そこから、頂上を目指して笹薮に突入。平坦でどこが頂上か分からないような所だが、GPSの頂上を示す地点にはピンクテープが結ばれていた(6)。
ここには四等三角点(点名・富山)があるはずだが、その付近で探してみたが、濃密なササや枯葉で覆われていて、見つけることはできなかった。
○屏風山(131m) <登り15分、下り13分>
この山は、中野川沿いの道々605号が走る中野地区に位置する山である(7)。道々605号の中野川に懸かる橋から目指す屏風山(右奥のピーク)を眺める(8)
地形図で見る限りでは、道々605号から直接北北東尾根に取り付くのが一番楽なようである(9)。取り付き部分は急だったが、そこを登り切ると、斜度は緩み、あとは顕著な尾根となり、鹿道もできていた(10)。
15分ほどであっけない登頂だったが、ここにもピンクテープが結ばれていた(11)。薮が薄いので、枯葉を靴で除けながら三角点を探したら、三等三角点(点名・屏風山)が見つかった(12)。
下山後、中野川沿いの道々605号を奥に走ってみた。結構奥まで人家があり、農地が開かれている。散歩しているおじいちゃんに聞いたら、福井県や石川県からの入植者が多いそうだ。帰宅後、調べてみたら、木古内町の歴史には「1859年(安政6年) 越後より24戸の移民を募集し、中野、瓜谷を拓く。」と記されていた。 明治以降は、福井県や石川県から入って来たのだろう。
○丸山(188m) <登り25分、下り20分>
この山は、瓜谷地区に位置する山である。丁王へ続く東尾根の末端に採石場(採土場?)があったので、その上から登った(13)。瓜谷橋から眺める丸山。たしかに名前通り丸い山だった。尾根の手前に採石場が見えたので、そこから登ることにした(14)。
採石場というよりは採土場のような雰囲気の上まで車で入れたので、ここをスタート地点とした(15)。その崖の上に登って振り返ったら、水田が広がる瓜谷地区の集落が見えた(16)。
アップダウンを繰り返して続く尾根は薮も薄く、鹿道もあり、苦労しないで登ることができた(17)。今年初のキバナイカリソウも咲いていた(18)。
頂上はポコンとした地形で、ここにもピンクテープが結ばれていた(19)。薮もほとんどないので、地面から突き出た三等三角点(点名・丸山)がすぐに見つかった(20)。
頂上の北斜面はトドマツ林だが、強風に煽られて途中から折れた倒木に覆われていた。
○焼山(380m) <登り1時間10分、下り45分>
この山は、木古内町と上ノ国町の境界稜線上に位置する山である。アプローチとしては、上ノ国町の神明林道の奥からが最適だと思われる。計画では、焼山の西側に突き上げる地図上の点線部分を登るつもりだった。ところが、用意した地図を忘れてしまい、何とかなるだろうと記憶を頼りに神明林道の焼川沿いの林道を進んだ。8kmほど入った分岐でGPSを見たら、直線距離で1.3kmほどなので、そこからスタートすることにした。帰宅後にトラックログを見てビックリ!計画とは全然違うコースを登っていたのだった(21)。※どなたか、これを見て、計画したコースを登って、その記録を見せていただきたいものだ。
焼山方向へ向かう林道は、決壊していて赤いテープが張られていた。その前に車を置いてスタート(22)。
廃道化した林道を進む。帰宅するまで、この林道跡を計画した点線部分だと思っていた(23)。途中に右手の境界稜線に向かう林道跡もあったが、直進して最後まで進んだ。 薮中の林道跡の終点から右の藪尾根に取り付いた。
まもなく、この林道跡は、人工林が現れ、薮から解放された。しかし、その人工林は境界尾根まで続いていなかった(24)。
再び尾根の濃い薮の中を進む。ここから境界稜線までの薮漕ぎがもっともきつかった(25)。境界稜線に出たら、南側から古い林道跡が続いていた。なんとか頂上まで続いてくれることを願ったが、まもなく、途中で右に外れてしまう。やむなく、また薮漕ぎで頂上を目指す。
頂上へ到着したら、なんとそこまで北側の稜線上に刈り分け道ができていた(26)。ここにも三等三角点(点名・勝山)があるはずだが、いくら探しても見つけることはできなかった。
下山は、登りのルートを辿った。林道跡から薮尾根に入ってすぐに、南斜面に人工林があるのを見つける。GPSトラックログを見ると、そこを下っても合流できることが分かり、登りで一番辛かった薮漕ぎを回避することができた。
その人工林の斜面の左側に深い沢があるので、下まで下りてしまうともっと深くなる。途中でその沢を越えて、登りのルートへ合流した(27)。今年初のスミレサイシンをカメラに収めて下山を続けた(28)。