カニカン岳(981m)A   [茶屋川南東尾根コース]   単独 2005、8、05  
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 本格的に山を始めた年に登ったとき以来ご無沙汰していた山に、13年振りに再訪。
  
7:30 自宅発
登山地点下山
10:00
11:15
11:50
登山口
6合目
頂上  
13:30
13:25
12:10
[1:50]所要時間[1:20]
写万部山登山口へ移動
           
 今金町の利別川上流域に位置するこの山は、国道5号線の長万部町の南側や今金町に向かう国道230号線からも端正な形を見せてくれる山である(1)この山一帯は、江戸時代中期の寛永年間にゴールドラッッシュに沸いたところである。友人が調べてくれた郷土資料によるとアイヌ語のカンカン(黄金)が転訛したとされているこの山名の由来も納得できる。ちなみに連想させるうまそうなカニ缶とは縁もゆかりもない。

 この山に登ったのは、本格的に山を始めた1992年に長万部岳とセットで一日2山を初めて体験した山である。今回は、原点に帰る山巡りの一環としての13年振りの再訪である。今春4月、利別川の支流のペタヌ川を挟んでこの山の真北に位置する通称・利別岳に山スキーで登ったときにペタヌ川に架かるスノーブリッジがあれば、再訪するつもりであったが、適当なスノーブリッジもなく諦めた山でもある。

 美利河ダムの奧に続く道々島牧美利河線とその先に続く利別川林道を10kmほど北上すると登山口である。前回来たときにはなかった新しい登山口標識が建っていて、コースガイドまで書かれてある(2)

 13年振りに再訪の山であるが、自分のHPの記録もガイドブックも見ないでの再訪である。印象としては、ブナ林が美しかったこと、7合目の高いところにも金鉱の坑道遺跡があったこと、ダラダラ続くアップダウンの登山道くらいである。登山口に建っているコースガイドには「合計4km、2時間40分」と書かれていたが、これまでの経験から2時間程度と目論んでスタートする。

 3分ほど茶屋川沿いの林道跡を歩くが、直ぐにトドマツ林の登山道へ入る。そこに入林届けポストが設置されている。入林届けには記載されていなかったが、前日のものと思われる複数の足跡が見られる。いきなり急な登りとなるが、昨年の台風による登山道を塞ぐ倒木はきちんと処理されている。登山道の両側には清楚なツルアリドウシの群生が続いていて和ませてくれる(3)

 前にはなかった美利河レクリエーション森林保護協議会作製の合目標識や渡島森林管理署作製の自然保護を呼びかける標識などが目新しい。ブナの木に直接付けた古い鉄板の合目標識はその上から噛まれるようになっていてその歴史を感じる(5)

 最初はトドマツ林であるが、3合目を越えると美しいブナ林となる(4)しかし、両側の笹薮の背丈が高くて、ほとんど展望が利かない中、アップダウンを繰り返しながら高度を上げていく。4合目標識を過ぎた左側の沢の方に苅分道ができている。なんの標識もないが、もしかしたら金鉱の遺跡があるのかも知れない。下山時に寄ることにしてそのまま進む。

 6合目で、尾根に乗り、反対側の展望も広がり、沢を挟んで、4月に登った通称・利別岳や長万部岳も見える。目の前には手前のピークとその後ろに頂上が見える(6)。7合目には、前回も印象のある金鉱坑道遺跡がある(7)当時の人はこんな高いところでどのようにして金が採れることが分かったのであろうか。

 7合目からは最大の急登となり、手前のピークの斜面を登る。崩壊地形のところにはロープも設置されている。8合目からは手前ピークを巻くように道は続く。やがて、平坦な台地状のところへ乗り、頂上が直ぐ目の前となる。高山の様相を呈した植生の中のジグを切る道を登ると、岩の上に出る。その先の細い岩間じりの稜線の先に二等三角点と古い頂上標識が建っているが、その先の展望が広がる地点に、前回にはなかった新しい標識が建っている(8)

 前回登ったときにはその存在すら知らなかった通称・利別岳の後ろに大平山、その右側に長万部岳が見えるが、その奧のニセコ方面の山は霞んで(9)さらには、狩場山から日本海側、さらには遊楽部山塊は帯状の厚い雲に覆われ、見ることができない。

 20分ほど休んで下山を開始する。4合目の苅分道を5分ほど下ってみるが、ずっと沢の方まで下りているようである。せめて標識ぐらいあれば、最後まで下りてみたいが、途中で止めて登山道へ戻り、下山を続ける。

 下山後、一日2山の写万部岳登山口を目指す。帰宅して、自分の前回のHPの記録を見たら、「登り1:30、下り1:00」となっていた。この夏一番の30℃を越える湿度の高い条件を比べて、いくら涼しい季節だったは言え、長万部岳に続いての一日2山目でこのタイムは、自分でもビックリしてしまう。13年間の歳のツケが往復それぞれしっかり20分増となって現れていた。それでも、標準より登りで50分ほど速いのだから良しとしよう。




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