◎カールから山頂を目指す
ここで登山靴に履き替えるつもりだったが、新しい沢靴が非常に歩きやすいし、草がまだ濡れているので、岩陰に登山靴を隠して、そのまま登ることにした。
冷たい湧水で喉をうるおし、山頂へ続く踏み跡を辿る。
真新しい熊の掘り返しが目に付く(1)。19年前も一面親子熊に掘り返されて登山道も分からなくなっていたことを思い出す。
ワインレッド色の花が頭を下げる日高山脈特産のヒダカアザミが目に付く(2)。
右手には、急なカール壁の上に頭をもたげる山頂が見える(3)。
高度を上げていくと、左手のピラミッド峰が、その鋭さを増して来る。北斜面の紅葉が美しい(4)。11年前の縦走時に、雨の中、あの細く急な岩稜の道を怖々登ったことを思い出す。
稜線に登り詰めると、11年前の縦走で3泊目のテントを張った1823峰が見え、その右奥に孤高の鋭鋒・1839峰も見える(5)。
ここから先は、ハイマツや薮が濃いので、ポールをデポする。
日高特有の岩とハイマツの細く急な稜線を登って行く。目の前に油k手を遮るようにそびえる鋭く尖ったピークを越えると、頂上は近い(6)。
鋭い前峰の上から穏やかな頂上が見える(7)。右手に山頂から延びるナイフリッジの続く南西稜を見ながら登って行く(8)。
11:15、5時間15分で山頂到着。OさんとKiさんは念願がなかった初登頂だと言う。感激一入のようだ。握手の力も強い。Taさんが背負ってきて設置した頂標識を前に記念撮影(9)。
派生尾根の紅葉も美しい(10)。昼食を摂りながら50分ほど休憩。
<この標識設置の経緯>
苫小牧グループのリーダーTaさんが背負って登り、取り付けた新しく立派な山頂標識は、福島の岳友から送られて来たものだという。
東北大震災のときに、何度も炊き出しなどのボランティアに出掛けたTaさんは、昨年、他の山で福島からやって来た登山者と直ぐに親しくなった。
そして、3週間前に、その岳友とこのカムエクに登った。そのときに、小さな標識が割れていたのを見た岳友が、専門業者の友人に頼んで作ってもらい、送ってきたものだそうだ。
Taさんの震災時のボランティアに対するお礼の意味や1日も早い完全復興への願いも込められているらしい。
この記事を読んだ方で、今度カムエクに登られた方は、その思いや二人の友情を感じながら眺めて欲しい。そして、ずっと大切にしていただきたい。
◎ちょっとしたハプニングのあった下山
頂上直下の草紅葉が美しい花畑の中を下る(11)。目の前のピラミッド峰に寄るかどうか悩んだが、山頂に雲が懸かり始めたことや時間的なこともあり、そのまま下山することにした(12)。
カールで靴を回収し、水を補給して下山を続ける。1000m三股までの急な下りは慎重に下らなければならない。その三股が近くなったところで、Kiさんが足を滑らせて転倒した。どうやら、左肩を亜脱臼したようだ。痛いのを我慢しながらも、周りに気を遣わせないように、右手1本のポールで頑張って歩いていた。
1000m三股からは、疲れもあり、登りよりゆっくりペースになった。
16:15、結局、登りとほぼ同じ5時間10分でテン場にゴール。自分ひとりでも登り5時間、下り4時間半の計画だったので、みなさんとても健脚ぞろいだった。
Taさんが焚火の用意をしてくれた。そのそばで、持ち寄りの飲み物とつまみがなくなるまで宴が続いた(13)。真っ暗になる前に打ち上げて、それぞれのテントに潜りこんだ。
◎9/8 札内川ヒュッテまでの下山
Kiさんは、肩が痛くてほとんど眠れなかったそうだ。協力して彼のテントを解体し、3人で可能な限り、荷物を分担した。自分はテントとテントポールとシュラフ?を受け持った。
Taさんの先導よろしく、わずか3回の渡渉で、七の沢出会いに到着。林道で事情を話し、工事関係者の車の乗せてもらえるように頼んでみると言う。もし、それが叶わない場合は、Kiさんのリュックを引き取りに戻ることにして、とりあえず、自分はMTBに跨る。
下りなので速いし、とても楽だ。1/3ほど下ると、下から、今日から3日間の予定で、本州の日本三百名山完登予定の女性を案内して登ると言っていたエバさんがその女性と一緒に登って来た。天候は良くなさそうなので、無理しないと話されていた。結局、予定通り登ることができたとのこと。
30分で駐車場に到着。すぐに引き返したが、半分ほど戻ったら、工事関係者の車に乗せてもらった3人が下りて来た。
駐車場に戻り、冷えたノンアルコールビールをご馳走になった。再会を願って彼らを見送った。こちらは時間があるので、のんびりMTBを解体し、更別温泉まで走り、ブログを打ちながら営業時間を待った。温泉で夕方までのんびりし、中札内の道の駅で3回目のカムエク登頂の祝杯を挙げた。