神止山(110mm) ・七面山(187m)<松前町>
<大森林林道からすぐ> 単独 18,5,22
<神止山>
登り、下りとも5分
<七面山>
※翌日に再訪
登り、下りとも5分
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この2山は、松前市街地の裏に位置する山である(1)(道の駅から撮影)。三角点もなく、名前からしても、信仰と結びついた山ではないかと思っていた。
○まずは、神止山へ
市街地から、神止山へ続く道へ入り、その先に続く大森林道を進む。林道から直接階段があったので登ってみた(1)。周りに赤松が植えられ、社と墓が並んでいた。社の並びの墓は位の高そうな個人ごとの墓だった(2)。
すぐに、スマホで検索して見たら、「松前藩及び官軍の明治元・二年戦役の戦死者を祀る。明治二年十月の完成で松前藩兵五十一柱、役夫三柱、民夫四柱を祀っているが松前城中で七十四才で自刃した田村量吉や、靖国神社に女性で初めて祀られた川内美岐女の墓もあり、二十才以下の青年も十一人も祀られている。また太平洋戦争戦没者の慰霊碑があり眺望もよく行楽の適地でもある。」とあった。
こちらは、松前藩兵のもので、数人ずつまとめられた墓だった(3)。右奥に頂上へ続く階段があったので登ってみたら、慰霊塔が立っていた(4)。そのすぐ奥の盛り上がった所が、地図上の頂上だったが、眺望は周りの木が邪魔で見えなかった。
○次に、七面山へ
同じ名前法華経の聖地として名高い七面山が、日蓮宗総本山の身延山近くにあり、日本二百名山に選ばれていたので、日蓮宗関連の信仰の山で、何かあるのかと期待していた。
神止山の下の林道から眺める七面山(5)。大森林道を進み、七面山へ向かった。ここも、林道からすぐに頂上だった(6)。しかし、頂上には送電線の鉄塔が立つだけで何もなく、期待外れだった。
しかし、夕方ブログアップするときに、検索したら、「山頂には高さ3m御陰石の立派な鳥居があり、文化十年正月吉日銘がある。また、開闢碑は寛延四年(1751)に藤原正高が建立した」とある。そのような鳥居などはなかったので、翌朝出直すことにした。
○翌朝再訪
林道から2分ほどで山頂へ。奥の少し高い所も単なる薮で鳥居などはなかった。しかし、ちょっと南側に進んでみたら、下に建物が見えたので下りてみた。
その建物は鳥居があったので神社かと思ったが、そばに「七面宮」と彫られた石柱と「南無妙法蓮華経」と彫られた石柱が立っているところを見ると、日蓮宗関係の寺社のようだ。「七面宮」の石柱の裏には「寛延四年藤原正高建立」と彫られている。寛延四年は1751年である。 境内は、薮で覆われていて、もう何年も訪れる人もなく、整備などはされていない感じである。立派な御影石の鳥居。文化十年正月吉日の銘がある。文化十年は1813年なので、「七面宮」の石柱建立より後である。(7,8)。
「七面宮」について調べて見たら、下記のようなことが分かった。
全国の七面宮に祀られている七面大明神は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。 七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。
寺社でも鳥居があるのは、明治以前の神仏混淆の名残であろう。そういえば、日本二百名山の七面山を登った時に、赤い鳥居がいくつもあったことを思い出した。