イザベラ・バードの道を辿る沙流川流域フットパス(15km)
<日高町門別〜平取町本町>
 単独 14,7,26
明治11年に英国の女性旅行家が横浜から平取のアイヌ集落まで歩いた最後の1日の足取りを追うフットパスを歩いてみました
時刻
地点
 6:45
 7:50
 8:20
 9:10
 9:45
10:15
10:45
11:00
11:30
12:00
スタート(富川東運動公園)
坂東牧場
紫雲古津川向大橋
去場生活館
荷菜大橋
自然遊歩道入口
ゴール(義経神社鳥居前)
義経資料館
義経公園展望台
平取ふれあいセンター
[5:15]所要時間

12:00 昼食
13:00 バスでスタート地点へ
                         
  まだ開国まもない明治11年、英国の女性旅行家イザベラ・バードは横浜から東北地方を経て、函館・森・室蘭・白老を巡り、佐留太(現在の門別町富川)から目的地である平取のアイヌ部落へ向かっている(1)その旅行記が昨年読んだ『日本奥地紀行』である。

 「イザベラ・バードの道を辿る会」(本部・平取町)では、バードの歩いた地としてゆかりの深い七飯町、森町、白老町、日高町、平取町に「バードが来訪した歴史を伝える解説板」を設置している。

 このフットパスは、その門別町(現日高町)富川から平取町本町(義経神社)までのコースである。沙流川流域に広がる牧場風景・水田・トマトハウスなどの豊かな農村風景を楽しみながら歩くことができた。しかし、『日本奥地紀行』によると、当時はまだ暗い森林の中に続く細い道だったようだ。




 前日に、スタート地点にある門別図書館郷土資料館でこの「フットパスマップ」をもらった(2)それを見たら、ワンウェイなので、戻るバスの時間を前日のうちに平取まで調べに行った。平取発が13:00だった。

 幸い、図書館郷土資料館の駐車場に24時間トイレがあったので、そこで車中泊させてもらった。それにしても、この建物、図書館と郷土資料館にしては、グッドデザインである(3)
 6:45、昨日からの「煙霧」で視界が霞んでいる中をスタート。スタート地点には、新しい解説板が設置されていた(4)。 まずは、沙流川の堤防の上の道を進む。


 まもなく、町道福満8号線に合流する。そこから4kmほどは、道路の両側に広々としたサラブレットの牧場風景が広がる(5)。新生ファームのトレーニング場ではちょうど調教場面に遭遇。騎手は黒人の方だった(6)



 牧場の建物はどこも立派でヨーロッパ風の瀟洒な建物や広々とした公園のような敷地が多い。その中の一軒で、道路からすぐの坂東牧場へ寄ってみた(7)。トレーニングセンターもあったので、そこも覗かせてもらった。騎手は大きな明るい声で「おはようございます!」と挨拶して通り過ぎて行った(8)


 やがて、沙流川を渡る紫雲古津川向大橋に差し掛かる。その手前に「イザベラ・バードの歩いた道」の解説板が設置されていた(9)昔は渡船場があったらしい。解説板には、「日本奥地紀行」のここの部分の記述の抜粋が載っていた。「私は二人の少年に案内してもらい、丸木舟に乗って、佐留太川をできるだけ上流に遡ることにした。この川は美しい川で筆舌に尽くしがたいほど美しい森や山の間をくねくねと曲がっている・・・」。バードの舟での遡行部分のルートは、堤防の上の道となっていた。


 橋を渡り終えると、すぐに右折して堤防の上の道となる。ここは、バードが舟で遡行していた部分なのであろう。左側には豊かな水田とその奥に連なるビニールハウスが広がっている(10)
 ビニールハウスの中は、道内一の生産を誇る平取のトマトばかりである(11)


 道路の分岐には必ず標識が設置されていて迷うことはない。裏には、地図上の場所を現す数字が書かれている(12)。堤防から下りて、農道を進むと去場地区の集落へと入って行く(13)
 去場集落を抜けて、再び農道から堤防に上がり、その道を進む(14)


 荷菜大橋の合流地点から国道へ向かう。国道沿いにも一面トマトのビニールハウスの波が続いているのにも驚く(15)
 860mの国道歩きから解放され、山の方へ向かう。その先は林の中の「自然遊歩道」となっていた(16)この部分は、バードの歩いた道ではないが、森林浴を身近に体感できるコースとして組み込んだらしい。


 「自然遊歩道」を抜けると、義経神社の裏山道と合流する。そのまま国道へ下り、まもなく義経神社鳥居前に到着(17)。ここがゴール地点で、駐車場に解説板が設置されていた(18)ちょうどスタートして4時間だった。バードはこの近くのアイヌの民家:ペンリウク(アイヌの族長)宅で数日間過ごしたと言われる。


 階段を登り義経神社へ(19)さらに境内にある「義経資料館」にも寄った(20)。 義経神社は、蝦夷地探検の命を受けた近藤重蔵らにより、寛政11年に義経の御神体が安置され祭られたのを始めとする古い歴史のある神社。資料館には、北海道に数多くの伝説を残し、先住のアイヌ民族からもハンカン(判官)カムイ(神様)として親しまれた源義経にまつわる資料が展示されていた。


 この義経神社一帯は義経公園となっていて、展望台までの遊歩道もある(21)バスの時間まで2時間あるので、そこまで登ってみたが、木の葉が邪魔で展望はなかった。下りは別ルートを下って(22)帰りのバスの始発地点のそのままふれあいセンターへ向かった。ちょうど12:00だった。

 幸いに、すぐ向かいに食堂があった。平取の地元食材を駆使した「ニシパの恋人ランチ」を注文した。トマトのほかに、びらとり黒豚のカツとびらとり和牛のハンバーグがセットになっていた(23)
ちなみに、「ニシパの恋人」は、北海道一の出荷量を誇る平取トマトやその加工品をブランド化した名称だ。ニシパとは、アイヌ語(北海道の原住民族)で、紳士・旦那・金持ちをあらわします。ニシパが健康な体を保つために真っ赤に熟れたトマトを毎日食べて、恋人のように愛してしまったと言うストーリーからネーミングされているらしい。

 13:00発のバスに乗ったら、凄いタイミングで雨が降って来た。無事、スタート地点へ戻って、そのまま帰路に就いた。 


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