石垣山(525.5m)<愛別町>A
<7/24>
石狩岳から移動
登山 | 地 点 | 下山 |
12:35
13:05
13:35
13:40
14:05
14:20
15:00 |
登山口
岩壁下
見晴らし岩山頂(480)
林 道
頂 上(525.5)
岩壁下
2度目の見晴らし岩山頂 |
15:45
15:25
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15:05 |
[2:25] | 所要時間 | [0:40] |
16:30 比布・遊湯ぴっぷ(入浴)
18:00 旭川・コインランドリー(洗濯)
19:30 旭川道の駅(泊)
<7/25>
4:45 旭川道の駅発
登山 | 地 点 | 下山 |
5:30
5:50
6:00
6:20 |
登山口
岩壁下
洞 窟
頂 上 |
7:05
6:45
6:35
6:25 |
[0:50] | 所要時間 | [0:40] |
愛山渓へ(永山岳〜当麻岳〜沼の平)
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愛別町の国道を走っていると、中愛別付近で、垂直に切り立つ巨大な柱状節理の岩壁を屏風のように連ねている山が見える。この山が石垣山である。
愛別町のサイトによると、
十勝アイヌと石狩アイヌの古戦場といわれ、幕末の探検家、松浦武四郎の「石狩日誌」には、「サンケソマナイに着す。この処峨々たる崖、嵌空して大岩窟なるに入る。比の処は文化年度、間宮某も此所まで上り此窟に一宿し帰られしと申伝うなり」とあり、間宮林蔵もこの石垣山に来ていたと伝えられている。
また、八十八箇所巡りの石仏も道沿いに設置されている。さらに、ロッククライミングのフィールドになっているらしく、関連用具が岩に設置されている。、
この山に最初に登ったのは99年であるが、そのときは上述したような歴史も知らないまま、「松浦武四郎と間宮林蔵の宿泊の洞窟」も目にすることはなかった。実施的な頂上とされている見晴らし岩山頂まで往復しただけであった。したがって、いつか、再訪したいと思っていた山であった。
霧雨の石狩岳を下山して、旭川に向かう。愛別町まで来たら、晴れていた。予てから再訪しようと思っていたこの山に、急遽登りことにした。再訪の狙いは、前回見逃した「松浦武四郎・間宮林蔵宿泊の洞窟」であった。
発電所のそばの鎖ゲートの車道の入口が登山口である(2)。送水管の橋を渡ると、登山道となる。今年になって笹刈りがされているようである。
暫くすると、前回にはなかった「石垣山八十八箇所」の石柱が立っている(3)。しかし、岩壁の下までの道沿いには石仏は見当たらなかった。
高度を上げると、道には苔で覆われた岩が露出してくる。20分ほどで岩壁の下に到着。ここからは、その岩壁の根元をトラバースするように道が続く(4)。根元のところどころに苔むした石仏が設置されているが、彫られている文字は読めない(5)。あちこちの岩がロッククライミングの対象になっているらしく、その痕跡が見られ、シュリンゲンを通す輪っかが設置されているところもある(6)。それらを見ながら進むが、目指す洞窟への表示もそこへの踏み跡も見つからない。
岩の間からカツラの木が生えている「桂岩」の下を通過する(7)。その先に、名前の意味が解らない「九合目 相愛岩」があり、そこから下っていく。
ようやく「四十六番」と読めるきれいな石仏が見られる(8)。やがて、前回ここで引き返した実質的な山頂とされる「見晴らし岩」に到着してしまった。ここにも前回はなかった「希望と石垣山」と彫られた標石が設置されていた(9)。
ここは、切り立った岩壁の上で見晴らし展望公園のような場所で、きれいに整備されている(10)。岩の上からは、眼下に石狩川が流れ、国道も見える(11)。
前回はその先へは進めなかったが、今回はきれいな登山道が続いているので下ってみた。
すると、林道に出た。その入口に「石垣山古戦場跡」の標石が立っていた(12)。
この林道の右側はどこから続いているのかは地図に記載されていないが、左へ進むと頂上へまっすぐ続く道がありそうだ。どうやら、送電線の管理道のようである。そこから頂上を目指すことにして、林道を左に進む。
林道を10分ほど進むと、
頂上を通過する送電線がある。その下に、案の定、管理道が続き、草の下には踏み跡があった。草や笹を掻き分けながら15分ほど登ると、一番高いところへ到着(13)。
そこは広くなっていて、その右側に古い林道が続いていた。GPSをみると、左の笹藪を少し漕ぐと、三角点のある頂上へ行けそうだったが、ここを頂上として、止めておいた(14)。
頂上付近にある赤い鉄塔の先の急斜面には管理道がなかった。来た道を戻るか、ヤブ漕ぎでまっすぐ下るか悩む。GPSを見ると、そのまま下ると登りの登山道の岩壁下の先へ合流できそうな感じだった。ただ、岩壁の上に出て進退窮まることだけが心配だ。
下れるところまで下ってみようと、急なヤブ斜面に突入する。右に垂直の岩壁があった。その左側は岩壁の切れ間のようだったので(15)、そのまま下っていくと、わずか15分で岩壁下のトラバース登山道の始まりの地点へ出ることができた。
「宿泊の洞窟」を探しながら、再び岩壁下の登山道を見晴らし岩山頂まで進んできたが、やはり見つけられなかった。諦めて下山したが、悔しさだけが残った。何とかして場所の特定をしたいものだ・・・。
比布町の遊湯ぴっぷで入浴し、旭川へ出て、コインランドリーで洗濯。その間、このブログを更新することができた。これから旭川道の駅へ。
ネットでいろいろ探したら、「宿泊の洞窟」の場所は、下記の『北のかもしかの山歩き』の記録が詳しい。しかも頂上には赤いペンキで塗られた三角点もあるらしい。すぐそばまで行って藪を漕ぐのを億劫がったのが失敗。天気が良ければ明日にでもリベンジしたい気分だった。
http://blogs.yahoo.co.jp/hide_omori/29878967.html
○翌日、「宿泊の洞窟」と頂上三角点目的のリベンジ
翌日、天候も良く、表大雪や十勝連峰の山並みがはっきりと見えていた。そこで、まずは石垣山へリベンジし、その後、愛山渓から永山岳〜安足間岳〜当麻岳〜沼の平の循環縦走の予定で、旭川の道駅を発った。
北のかもしかさんの記録を参考に、洞窟への登り口にある巨木を頼りに登っていく。岩壁下の道となってまもなくその巨木が目に入ってきた(16)。その左側に、よく見ると草で覆われているが確かに踏み跡があった。しかし、表示もなく、赤テープすらぶら下がっていない。藪を漕ぎながら、それを辿って登っていくと右手に岩壁が続いている(17)。
その一角に確かにポッカリと四角い口を開けたひと坪強の広さの洞窟があった(18)。しかも、その下には「間宮林蔵(文化年間) 松浦武四郎(安政四年)宿泊の洞窟」と書かれた表示板が立てかけられていた(19)。わざわざ山に登って本当にここに泊まったのだろうか?と思われるところではあるが、これだけの歴史遺産なら、入口の表示や草刈りなどをしておいてくれれば良いのに・・・と思わずにはいられなかった。
その上にも踏み跡が続いていた。上を見ると、垂直に近い岩の割れ目に人が登り下りしたような痕跡がる。途中で切れた古く短いロープもぶら下がっている(20)。これが、北のかもしかさんが登って頂上へ行ったルートだろう。自分も慎重に登ってみた。その上は笹藪で、踏み跡の痕跡すら見つからなかった。GPSを頼りに藪を掻き分けて進む。昨日到達した広く刈り払われたところへ出たりもしたが、彼が目印に結んでいったという赤いテープが目に入り、その下に、赤いペンキで塗られた二等三角点(点名・同名)がみつかった。まさに頂上への最短距離だった。
2日がかりの洞窟探しと、登頂だったが、リベンジが叶った。北のかもしかさんに感謝して、来たルートを戻って下山した。
2日間歩いた軌跡