伊勢鉢山(265.6m) <木古内町> 
<東尾根ルート〜地滑り地形探訪> つぼ足 2名 2011,3,07
 
リハビリ登山第3弾として、低山ながら北東側に抱く地滑り地形と堰き止め沼も併せて探訪

7:50 自宅 
8:20 木古内町釜谷奧の最終人家
登山
地点
下山
8:30
8:55
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9:20
最終人家
尾根取り付き
地滑り滑落崖下
堰き止め沼北岸
北ピーク
頂  上
11:50
11:25
10:40
10:10
 9:55
 9:45
[0:50]所要時間[2:05]

GPSトラックログ
 山名の由来は不明だが、木古内町釜谷地区の裏山的存在の低山である。リハビリ登山第3弾として、手軽に登れる近郊の山を探していたら、旅人も〜さんの2/28の日記に、この山の山行記録が載っていた。

 この山にだけ登るなら、枕木山荘への亀川沿いの道から頂上直下西側まで続いている林道を詰めれば楽なのだが、彼は、釜谷の奧の林道から東尾根を登っていた。そのわけは、この山の北東側に地形図にも地図記号で表記されている地滑り地形とそれによってできた堰き止め沼探訪もセットにしていたからだ。

 2日前に出掛けたのだが、天候に恵まれず、尾根取り付き地点と沢からの登り返し地点の下見だけで戻ってきた。地滑り地形にも興味があるので、森林と地質の専門家Taoさんをお誘いしたら、二つ返事で同行いただくことになり、二人で出掛けた。なお、Taoさんによると、1960年代の地形図には、湖沼も地滑り崖の記号も記載されていないとのこと・・・・比較的新しいものか?
 読者の北斗市のSa女史から「この地滑りは1980年に起きたものです」との情報をいただきました。

○まずは、伊勢鉢山へ
 釜谷の市街地から山の方へ続く道へ入る。1kmほど進むと、すでに廃業した大規模な酪農施設が建っているところが除雪最終地点。現在も1軒が居住している。そこに車をデポしてスタート。大きな牧舎や関係施設の中に続く道は、整備されて間もないと思われる立派な農道へと続く。やがて、目の前に牧草地と思われる広々とした地形が広がり、目指す伊勢鉢山が見えてくる(1)
 Taoさんに言われて気付いたが、牧草地と林の境目にクロマツがその境界を示すようにずっと1列に植えられている。このことから、この辺り一帯はかなり古くから開拓されたされたことが判るという・・・・さすが専門家だ。

 農道終点から東尾根に取り付く。作業道が続き、右側に杉林が広がる(2)。木古内町は古くから杉の栽培に力を入れて、「道南杉」という名で親しまれ、町木にも指定され、町のあちこちで杉林が見られる。

 高度を上げていくと、雑木林となる。尾根に防火線を兼ねた幅広の作業道が続き、スノーモービルのトレースも残っている(3)Taoさんは、古い地図を持ってきていたが、それには「イセ鉢山」と記されていて、この山の頂上へ繋がる四方からの道が載っている。この作業道もその一つである。

 スタートして1時間もしないうちに頂上に到着。稜線の西側にも杉林が広がっていた(4)雪が降ってきたりで、期待していた展望が広がらない。晴れてくるのを待ちながらしばし休憩。

 やがて、上空は晴れてきたが、当別丸山の右手に見える肝腎の函館山の上空が曇っているで、すっきりとした展望が広がらないのが残念(5)

 南側には、樹間から釜谷漁港や海岸線も見えているが、空の色を写す津軽海峡の海面も灰色のままだ。

 東側には当別丸山が聳え、その手前に、この後目指す予定の地滑り地形と、地形図にも地図記号で記載されているその滑落崖が見えている(6)



○北ピークから沼を目がけて下る 
 次の目的である地滑り地形探訪のために、稜線上を北へ進む。稜線上にも防火線を兼ねた作業道が続き、モービルのトレースも続いている。

 稜線上で、幹に病班のような丸い奇形の傷を付けた樹木が多く目に付く。Taoさんに言わせると、これはイタヤカエデばかりで、「ヤチダモがんしゅ病」という病気とのこと。ヤチダモやウダイカンバにもでき、発生環境は強風、過密林分らしい・・これまでもそうだが、Taoさんと歩くといろいろなことが解って面白い(7)

 北ピークから下の沼を目がけて急な尾根を下る。途中にブナの巨木を目にする。幹の太さもみごとだが、途中からの幹の分かれ方や枝の広げ方に迫力がある(8)

 沼の近くまで下りると、再び暗い杉林の中へと入っていき、それを抜けると沼の岸に出ることができた。まだ一面氷に覆われていて、堰き止められてできた沼や湖特有の枯れ木が林立している(9)

 この沼は地図上でも結構大きいものだが、まさに秘沼の雰囲気を漂わせている無名沼である。岸を歩こうと思ったが、まだしっかり凍っているようで、湖面を歩くことができた。縦走して南側の流れ出口を目指す。出口付近は氷が溶けていて、滝状になって流れ出て、沢へと続いていた。


○崖の根元を目指し、地滑り地形の上を歩く 
 沼の流れ出口を見て、次に崖を目指す。地滑り地形の尾根状の斜面を登る。尾根状ではあるが、異常に複雑にデコボコして、あちこち崩れている。尾根のピークから目の前に屏風のように連なる地滑りの滑落崖を眺める(10)

 さらにその崖の根元を目指して、近づいていく。崖部分の地質や様子を細かに観察したTaoさんによると、典型的な第三紀層の地滑り地形だそうだ(詳しくは後述)(11)

 暫く休憩して帰路に就く。崖の根元を南端まで歩き、目の前に広がるゴタゴタした地滑り地形の上へ登り(12)沼から流れ出る沢を目指して下る。

 しかし、地滑り地形特有のものらしく、畝っているような地形に小さな沢が入り汲んだ複雑な地形で、非常に歩きづらい。

 適当に下って沼から流れ出る沢に下りたら砂防ダムがあった。本来はその沢沿いに次の砂防ダムの地点まで下って右岸を登り返すつもりだったが、沢の中を歩くのも嫌なので、すぐに対岸へ渡って、杉林の中を斜めに登り返した。予定より遠回りだったが、尾根取り付き地点より少し上で登りのトレースの残る東尾根に合流。

 あとは、来た道を戻るだけ・・・・。トータルで3時間20分の里山登山と珍しい地滑り地形探訪だったが、専門家との同行ゆえに、いろいろ勉強になり、楽しい山行だった。

○当日の内に、Taoさんのブログ「もりのつち」にアップされた、この地滑り地形についての専門的見地からの記事の抜粋は下記の通り

・1960年代前半の地形図ベースには、地辷り崖も湖沼記号もない。赤丸が上図の湖沼に相当する位置だ。沢線に地層の北北東・15~20°の走行方位の記録が見える。上図の馬蹄形の地辷り地塊が下図の赤線(背斜・向斜)に挟まれた地域にあたる。灰色のベルト(逆ハの字)が第3紀八雲層の凝灰岩、薄緑は同層の頁岩・泥岩。含水しやすい灰色の凝灰岩を滑り台にして、薄緑の頁岩層が滑ったのだろうか。
・典型的な第三紀層地辷り。(移動が緩やかな継続的地辷り、緩急の傾斜の反復する階段状の地辷り地塊(ゴタゴタした地形)、地塊が馬蹄形の輪郭、最上部の崖、崖の直下の地辷り凹部(湿地)、凹部に接する逆傾斜・・・が歩行ルート上に認められた) 


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