岩雄登(イワオヌプリ)硫黄鉱山跡探訪   
<五色温泉からの沼巡りコース>  単独  12、10、7

江戸末期から昭和12年までのかつての栄華の痕跡や遺構を探して歩いた岩雄登硫黄鉱山跡
登山
地 点
下山
8:05
8:55
9:30
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五色温泉
小イワオヌプリ
硫黄鉱山跡探訪
(1時間15分)
11:45
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10:45
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[1:25]所要時間[1:00]
12:00 五色温泉(入浴)
13:30 倶知安風土館

GPSトラックログ
 
<かつて岩雄登硫黄鉱山が栄華を極めた一帯を見下ろす>


 この「岩雄登(イワオヌプリ)硫黄鉱山跡」は、江戸時代末期(1800年代)から採掘され、明治3年から明治10年まで、函館の商人泉藤兵衛と村田駒吉が開坑し、会社を興している。永年社に譲渡し、明治19年に三井物産に譲渡され、その後。昭和12年まで続いた。最盛期は大正6〜7年ごろで、工事関係者も含めて300人ほどの関係者が働き、学校も診療所もあったという。
 
 場所は、イワオヌプリから大沼への沼巡りを下って行くと硫黄川に出るが、その川沿い一帯。昨年の秋に、沼巡りをした際にここを通った。紅葉が非常にきれいだったこともあり、この秋に鉱山跡の遺構探しをメインに再訪しようと決めていた。

最盛期のころ?の写真〜煙が上がっている建物は精錬所らしい
 

硫黄川上流部左岸高台の平坦地・・・特に目立った遺構なし

硫黄川の下流部・・・多くの遺構があった

硫黄川を遡って行ったら川がトンネルになっていた

反対側へ抜けている。その先に層状の鉱床が見つかり、そこを深く掘った
ので、川底が下がり、トンネルで潜らせたようだ。
地形図で地形を見ると、掘った跡や川の流路を変えたのがよく分かる。

川の両岸を石垣で組んでいる。現在はこの右側を川が流れているが、
当時はここが川だったようだ(写真に写っている地元の方が教えてくれた)

煉瓦を何層に積み上げているが・・・?

あちこちにこのような煉瓦が落ちている

山肌の下から湧き出る硫黄を含んだ湧水

手水鉢と奥の方の建物跡

建物の土台?

建物の杭

石組みの小さな川

抗口跡?(ほとんどは露天掘りだったはずなので違うか?)

上部から川のトンネルの反対側の地形を見下ろす。
鉱床の掘られた様子と川がトンネルになっているのが分かる。



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