ホロホロ山(1322m)D 
<白老コース>  単独  12,7,04

93,9,11の「徳舜瞥山〜ホロホロ山」(鉱山跡コース)へ
02,06,5の「ホロホロ山〜徳舜瞥山」(白老コース)へ
03,3,23「徳舜瞥山」(山スキー・旧道コース)へ
05,7,20の「徳舜瞥山〜ホロホロ山」(鉱山跡コース)へ
12,6,26の「徳舜瞥山〜ホロホロ山」(鉱山跡コース)へ
10年ぶり2度目の白老コースの確認と写真撮影狙いで、先週の鉱山コースに引き続いての再訪

5:00 函館発
登山
地点
下山
 8:40
 9:15
 9:45
10:15
登山口
林道交差
7合目
頂 上 
12:45
12:20
12:05
11:45
[1:35]
所要時間
[1:00]

14:00 旧大滝「ふるさとの湯」
              (入浴)
 尖った徳舜瞥山と30分ほどの縦走路で結ばれているこのホロホロ山(左奥・大滝側から撮影)(1)、胆振総合振興局内の最高峰であり、伊達市および白老町の最高峰でもある。一等三角点が設置されていて、その点名が「徳心別」。語源は徳舜瞥山と同じなので紛らわしい。魅力的な響きを持つホロホロ山の由来は、アイヌ語で「ポロポロ・ペッ」(甚だ大いなる川の意)に由来するらしい。

 先週、大滝側の日鉄鉱山コースから徳舜瞥山経由で登ったばかりだが、道新の連載記事の関係で、コースの確認と人物を入れた徳舜瞥山の写真を撮りたくて、10年ぶりの白老コースから5度目となるホロホロ山へ登った。

 早朝に函館を出て大滝経由で道々86号線(白老大滝線)へ入る。「四季彩街道」とも呼ばれている。ホロホロトンネルを抜けて白老側へ下っていくと、左側に登山口の案内板が立っている。その向かい側から登山口までの4.5kmのトドマツ林道が結構荒れていて走りづらい。10年前は砂防ダム工事中で、通行止めだったが、工事関係者のトラックに乗せてもらったことが懐かしい。
 

  標高830mにある登山口は、10年前にあった今にも潰れそうだった「ひげの小屋」は撤去されていた(2)

 この登山道は白老山岳会が毎年刈り払いなどの整備作業をしてくれていて、この山に掛ける熱意が伝わってくる。途中に最近設置し直したと思われる御影石に彫ったアイヌ語の標識まで・・・。

 最初の徒渉を越えて尾根道を進むと、再び沢に出る。赤い岩盤が露出している「3合目、ピリカの沢」。そこから先はずっと尾根道が続く。 

 35分ほどで、林道と交差する4.5合目へ到着。ここにも御影石に彫った「四.五5合目」の標識があった。その先にはホロホロ山の南隣に聳える1260峰が覗いている。(3)


そこから先には、アイヌ語の標識が続く。入山ポストにあった持参用のパンフを参考に訳語が書かれてあった。それによると、「ホクサッペの松」は(後家の松)の意(4)。「ヌペルーラン」は(涙坂)の意で急登を意味しているらしい(5)。「マチャッペの松」は(男やもめの松)(6)後家とか男やもめとか・・・一緒にある話はないのかな?後家が切られているからダメか?



 やがて、7合目のタツニタイ(ダケカンバ林の意)見晴台に到着。ここには「自然の大作 ホロホロの桜」の標識の立つ、横に枝を大きく広げたみごとなタカネザクラの木がある(7)。10年前の6月上旬には3分咲きで迎えてくれた。地元には、この桜の花見目的でこの山に登る人もいるらしい。見晴台だが、せっかくの南側の展望は海洋性のガスで雲海となっている。

 少し登っていくと、左上に伊達市と白老町の境界となっている北東尾根が見えてくる。その途中のポコは1210峰のようだ(8)冬にホロホロトンネルからスキーで辿るのも面白いかも知れない。

 いつも間にか周りはダケカンバ帯へと入っていく。9合目には、「頂上まであと400m」という標識と曲がりくねったダケカンバに「カンナリのかんば」(かみなりのダケカンバの意)の標識が付いている。稲妻のように曲がりくねっているからだろうか?(9)

 間もなくして、頂上が見えてきて、周りはハイマツ帯となっている。




 4.5合目付近から登山道沿いにはずっとヨツバシオガマが咲いていて、まさにヨツバシオガマロードといった感じだ(10)。頂上直下には先週には開いていなかったエゾカンゾウが花を開いていて、華やかな感じになっていた(11)


 1時間半で誰もいない頂上に到着。頂上標識の下の昔からある「北海道自然100選の山」の看板に黒いコルタールかペンキが塗られていた。腐食を防ぐためだろうか?この看板の文字は、札幌の岳友のganさんのお姉さんの揮毫らしい。
 頂上の徳舜瞥側の岩場から人物を入れた徳舜瞥山の写真撮影が目的だったが、縦走路を見ても、こちらへやってくる人の姿が見えない。仕方ないので、三脚とセルフタイマー使用で自作自演の写真を何枚も撮った(12)
 
 暫くしたら、縦走路から進んでくる人たちが何組か見えたので、待つことに・・・・・。一番先にやってきたのは同年代の札幌の男性だった。「この山に初めて登ったのが40年前で、今はなくなった旧胆振線の駅から歩いて登ったのが懐かしい。そのころからこの縦走路ははっきりと付いていたが、白老側の登山道はなかった」など、いろいろな話を聞きながら後続を待った。

 帰宅後、留守の間のメールをチェックしたら、この男性からメールが入っていて驚いた・・・「昨日昼少し前にホロホロ山山頂でお会いしました。どこかで見たお顔と坂口さんというお名前が下山中でも離れず、坂口・坂口と何回か繰り返しているうちにそうだsakagさんだと思い出しました。大変失礼しました。私は後半年ほどで70歳を迎えます。記憶力に自信がなくなってきました。失礼しました。(以下略)」・・・・函館に2度も勤務したことがあり、拙サイトをよく見ていてくださっている方だった。

 下山後、大滝側へ戻り、大滝地区の無料温泉「ふるさとの湯」へ入り、夜のHYML懇親会出席のために札幌へ向かった。


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