5日目 2004、10,9 19番〜21番 (雨) <36.3km> トータル <137.4km>
<民宿ちば>8:00→(4.5km)→
19立江寺
→(13.1km+1km)→
20鶴林寺
→(6.7km)→
21太龍寺
→(10.9km)→18:00
<民宿山茶花>
○台風22号のせいでスタートが遅れたが、天候が回復する。
今日の計画は、22番の平等寺までであるが、台風22号が四国沖を通るとのことで、スタートを躊躇する。朝起きてみると風はない。しかし、今日のコースは後半は山越えなので、嵐の中の歩きは難しい。とりあえず19番の立江寺を打って、その先10kmにある20番の鶴林寺の登坂口にある旅館金子やまで進むことにして、宿の予約を入れ、わずか14kmほどなのでのんびり用意をする。
8:00、雨の中のスタート。県道136号線を4.5kmで
立江寺へ(1)
。そこで、先にスタートしていたWさんに逢う。彼は、休暇の時間切れなので、ここで打ち止めにして帰るという。「必ずHP見て、掲示板に書き込みますから、気を付けて頑張ってください。」と挨拶されて別れる。
その先に遍路道が2つある。県道28号線を進むコースと山越えで県道276号線に出るコースである。時間的余裕もあるのでわざわざ遠いコースを選んで進むが、山越えの道の取り付きが分からず、結局田圃の中の農道を辿り、途中から県道28号線へ出る。その後、県道22号線を金子やまで進む途中で雨が上がり、台風の影響がなくなってしまう。
○予定変更
このままでは、金子やに着くのが11:30である。歩きながら、予定変更を検討する。山越えの標高差と距離を計算して、22番の平等寺の納経時刻までは無理だが、日が暮れる前にその隣にあるという民宿山茶花まで着けるであろうと腹をくくり、途中のコンビニでパンとスポドリを買って、金子やにキャンセルの電話を入れる。
○後半、山越え3つのハードな登山モードのコース
20番の鶴林寺と21番の太龍寺はともに山寺で、鶴林寺は標高500mに建ち、登坂口との標高差が470m、太龍寺は標高520mに建ち、標高差480m、さらに、平等寺へも標高差60mの山越えがある。すべて、車の通れない大好きな登山道モードのへんろ道である。
11:40,
鶴林寺への登坂口で逢った老人が「あの少し雲の懸かったもっこりとしたところがお寺です。」と教えてくれる(2)。
そこまでの道はお寺への参道となっていて、3kmで標高差470mのかなりの急登である。途中まで舗装され、
周りはたわわに実って色づき始めたみかん畑である(3)。、その後は土留めの階段(4)
と昔のままの自然道となっているが、ここを1時間少々で登り切る。
鶴林寺(5)
へ着いたら珍しくお遍路さんが一人もいない。恥ずかしくないので調子外れの読経を大きな声でする。太師堂でも同じようにしたら、隣が納経所で、その中に担当者がいたので、絶対下手なお経を聞かれたはずである。納経を済ませて境内でパンとスポドリの昼食にする。
そこから太龍寺までの下りと登りも、歩き遍路しかとおれないうれしい昔ながらの道である。下りもきつい。2.5kmで450mの下りである。しかし、
川の流れだけが林の中に響く1200年前からそのままの静かな道である(6)。
下の方は再びみかん畑の中の道である。下りきって車道を少し歩いて那賀川の橋を渡り、若杉谷川沿いのへんろ道に入る。
太龍寺への登りは斜度がそれほど急でなく、そばを川が流れ、まさに幽谷の静かな道である。上の方になると急になり、道も自然道になるが、
途中に古い感じの「○丁」と刻まれた丁石が建っている。お寺へ着いて説明板を見たら南北朝時代のものだそうである。ずっしりと重い歴史を感じる(7)。
その当時からの人たちと同じ道を自分が歩いていたのである(7)
。途中で初めて海を目にする(8)。
15:10、
太龍寺へ到着(9)
。この寺は西の高野山と言われるだけあって、山の地形を上手く利用した敷地の広さも建造物の荘厳さも群を抜いている感じである。しかも、この山にはロープウエイがあり、車遍路の人はいやでもそれを利用しなければならないようである。
○もっと足を伸ばそう
納経を終えて、3.9km先にある同じ姓のの坂口屋に泊まってみたい気もするが、次の日からの計画が苦しくなるので、頑張って先まで進むことにして、11km先の平等寺の隣にある民宿山茶花へ予約の電話を入れる。平等寺の納経は明日に回して、18:00までには着けるであろうと、急な道を下る。
途中から緩い登りが続く県道28号線を歩き、17:00に国道195号線にぶつかったところから、再び歩き遍路しか通ることのできない山道へ入る。その先にある遍路休憩所で高校生くらいの歩き遍路の男の子が野宿の準備をしていた。このような若者を見るとうれしくなる。
途中で出会ったおばさんが、「この先に20段ほどの階段があるけど、その先はずっと下りで、1時間ほどで着きますよ。」と親切に教えてくれる。幅1mほどの舗装道を進むと確かに土留めの階段があるが、20段どころか、200段以上もある。そこをようやく上りきると、標高200m地点の最高点で、下の集落が見える。その先の下りはすべてうれしい竹林と杉林の中の自然道である。
新野の集落に出て、30分で薄暗くなった中、
平等寺の隣にある食堂も兼ねた民宿山茶花に到着(10)。
まさに誰かの歌ではないが「さざんかの宿」である。泊まり客は自分一人だけで、一番豪華な10畳もある部屋へ通される。風呂もこれまででもっとも広く豪華なものであったし、
食事も写真の他に鶏の唐揚げも出されて、美味でボリュウム十分であった(11)
。
○携帯電話が修復せず、モバイル更新できず
昨日の雨で濡らして故障してしまった携帯電話は、通話はできるまで回復したが、なぜかPCとの接続が利かないし、充電も完全にできない。今日もまた更新ができないので、今日の日記は明日の早朝作成することにして、夕食でビール2本を飲んで、直ぐに布団に入る。
この調子であれば、修復不能のようである。明日、どこかAUショップのありそうなところへ寄って、修復不能であれば、どうせなら高速モバイルのできる機種に変えようと思う。
○支出
賽銭120円(20×2×3)、納経代1,500円(500×3)、パン・スポドリ540円、ビール2本900円、宿代6,300円 <合計9.360円>
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