40日間の「心の旅」を振り返る

初めてその土を踏んだ四国の歴史・風土の中で、
1200年の昔から脈々と受け継がれて来た
お遍路文化にどっぷり浸かった40日間の贅沢且つ快適な旅でした。

北海道とはまったく違う自然や生活の営みもしかり、
なんと言っても、「お接待の心」に裏付けられた一期一会の出会いに支えられて
結願することができたものと、心から感謝しています。

当初は霊場巡りという点と点を繋ぐ旅のつもりでしたが、
いつしか、それは目的ではなく、手段に変わってしまいました。
すなわち、
点と点を繋ぐ線の中での出会いや経験の方が自分にとって、
大きな意味を持って来たからです。
ですから、その線をできるだけ太く豊かなものにできれば・・・と願いながら歩きを楽しみました。

終焉に近づいてきて、
もっとゆっくり歩きたい、まだ終わりたくない・・・そんな気持ちが沸々と沸いてきました。
「早く終わればいい」とか「早く終わりたい」という気持ちには一度もなったことがありませんでした。
日常の生活に戻っても、浦島太郎の竜宮城のような思い出だけでは終わらせたくないものです。

これまでの人生も他人に支えられ生かされて来たことは実感していますが、
今回の旅を通して、それが余計如実に感じられました。
この旅でいただいた多くの「心」をもとに、
「人生即遍路」の意味をじっくり噛みしめたいものです。
そして、
今後の人生に生かしてことの大切さを深く心に刻むことができました。

いつしか、再び、四国の地を訪れたいものです。


<歩き遍路について>
 車遍路、団体バスツアー遍路、自転車遍路・・・いろいろな多くのお遍路さんに出逢いました。しかし、数は少ないですが、遍路本来の姿である「歩き遍路」は、もっとも贅沢なスタイルかも知れません。ある程度の体力、時間的余裕、経済的余裕が必要なことはもちろんですが、なんと言っても、@歩き遍路でなければ通れない1200年も続いてきた昔の街道や山越えの峠道、昔からの参道などの遍路道で、いにしえの時代にタイムスリップできる楽しみ。Aじっくり、ゆっくりその土地ならではの風土、歴史、文化に触れることができること。B地元の人や歩き遍路同士のふれあいの機会やお接待の機会が圧倒的に多いこと・・・が、そのメリットである。

 また、「歩き遍路」には、宿利用派と野宿派とその兼用派の3タイプがある。野宿派は、圧倒的に若い人といわゆるホームレスタイプ?の人が多かった。我々の年代になると、野宿は勧められない気がする。体力には自信のあった自分であるが、体調を崩すことなく、毎日元気に歩き続けられたのは、@宿でゆっくり休養や睡眠が取れること。A毎日きちんとした食事が摂れること。B毎日入浴や洗濯ができ、衛生的で快適な旅ができること。C宿でお遍路さん同士や宿の方から貴重な情報がいただけること・・・・などのお陰であると確信している。

 最近、「歩き遍路」が増えてきていると聞く。それぞれのきっかけや目的や事情は多様であろうが、今のこのような時代だからこそ、日常の生活から離れ、時間を掛けた心癒される旅が求められているのではなかろうか?ちょうど今、「ロード88」という若い女性が主人公の映画が全国で上映されているそうである。自分も近々鑑賞する予定であるが、これで、若い人の歩き遍路が増えたらうれしい限りである。

<遍路道について>
 車社会の現在、1200年もの昔からの遍路道を残すことは大変なことに違いない。農道や林道、生活道路として利用されている道はともかく、現在では歩き遍路の人しか通ることのない昔の峠道や昔からの参道、林の中などの遍路道がまだ多く残されているのはうれしかった。それらの草刈りや整備がきちんと行き届いているのには、藪漕ぎ登山大好き人間ではあるが、「へんろみち保存協力会」や地元の方々の努力に頭が下がる思いである。

 お陰様で、これまでの登山の経験を生かして、可能な限り、歩き遍路にしか通れない遍路道を踏破することにこだわって歩いて来た。無謀と批判を受けるかも知れないが、台風の影響で遍路道自体も通行止めとなっていた60番の横峰寺や最後の88番の大窪寺への女体山越えの遍路道も通過して、その実態や状況を画像と文章で発信することができた。また、生活道路でも、昔の街道筋の狭い道路が多く、その古い家並みや町並みをじっくり楽しむことができた。

 さらに、道端に昔から建てられている遍路標石や丁石、電柱などの貼られている遍路マーク、分岐に建つ標識、「四国のみち」標識、山中の「遍路道」などと書かれたプレートなどは、「へんろみち保存協力会」発行の遍路地図とともに、心強い道案内であった。また、地元の人がこの遍路道をよく知っていて、黙っていても詳しく先の道を教えてくれたり、ちょっとでも外れたところを歩いていると声を掛けてくださることが多かった。
 
<参拝と納経について>
 本来の目的である88ヶ所の霊場のお寺の本堂と大師堂の参拝が祈りのときである。このときは亡妻の供養も兼ね、厳かな気持ちで臨んできたつもりである。初めはとまどったいろいろな参拝の手順や読経も日が経つにつれてスムーズにできるようになってきたが、いろいろ忘れたり、抜かしたりすることが多かった。ご宝印をいただく納経所へ寄るのを忘れて戻ったことも2度あった。

<歩きのペースについて>
 これまでの登山やジョギングなどの経験から脚力には自信はあったが、当初は、次の日に疲れを残さず毎日歩き続けるには、一日でどのくらい歩けるのか見当も付かなかった。また、HPのモバイル更新のためにも、遅くとも16時には宿へ入りたかった。
 
 初めの1週間ほどは、筋肉痛があったが、そのうちにそれもなくなり快調に歩き続けることができた。自分の場合は、次の宿やお寺までの距離、その日に打つお寺の数にもよるが、参拝と納経に20〜30分を見込み、休憩・昼食などの時間、さらに山道の標高差と距離などを勘案して、だいたい4km/時間で計算して、一日8〜10時間で30km〜40kmを目安にした。35kmを越えるときは、夜明け前の5時出発が多かった。もっとも歩いたのは標高740mのひわた峠を越えて44番太宝寺と45番岩屋寺を打った日の12時間で44kmである。

 結果的に、他人に言わせるとかなり速いペースのようであった。確かに歩いていて自分より速かった人は20代と30代の青年と同年代のマラソンランナーの3人だけであった。しかし、ゆっくり歩くと逆に疲れを感じることが多く、自分のペースで歩くことがもっとも楽だということも実感した。

 朝はやはり快調で、3時間くらいは休憩を取らずに歩き続けられた。しかし、午後からはやはり疲れを感じることが多く、午後に10〜15kmほどを残すようにして朝早く出る方が、精神的にも肉体的にも楽であった。

<多くの人々の「心」に支えられて>
 この旅を突き詰めれば、「他人の心に支えられ、励まされて結願できた旅」である。道中でのお接待、たまたま同行や同宿となった人々、宿のご主人や女将さん、納経所での何気ないひと言、そして、モバイル更新ならではの出会いと掲示板への励ましの書き込み等である。

 お接待は、みかんがもっとも多く、お茶のサービス、現金、お弁当、昼食、ビール券、お菓子、手作りの巾着や数珠入れなどをいただいた。初めは心苦しさもあったが、「心」をいただくことに徹して、それもなくなり、すべて素直にありがたくいただくことができた。あと、行き交う地元の人からの挨拶や励まし、道の案内もその類として、うれしく受け止めることができた。

 同行や同宿で意気投合したりお世話になった方々も多かった。とくに阿波路の頃の千葉の好青年Waさんは、その後のスーパー健脚大師のTaさんとの出会いを作ってくれた。さらに、土佐路へ入る頃から延べ4日ほどお付き合いいただいた姫路のKoさん、台風の足止めの前後のやはり3日ほどお付き合いいただいた福島のAさん、そして、歩くペースが一番合うこともあって、2度にわたり、もっとも長くお付き合いいただいた同じ北海道のスーパー健脚大師Taさんは函館にも13年ほど住んだことがあり、人生の大先輩と言うこともあり、本当にお世話になった。

 宿(民宿、旅館、ビジネスホテル)は、それぞれ違いはあるものの、遍路を対象とした宿が多く、概ね歩き遍路に対する細やかな心遣いの行き届いた宿が多かった。宿泊者が少ないときは、その宿の主人や女将さんと話できる機会が多く、いろいろなお遍路さんのエピソードや情報・助言をいただき、とても楽しかった。

 そして、モバイル更新がゆえの出会いの最たるものは、3年前からmyHPの愛読者だったという、まさにこの旅のお導き大師となってくれた松山市のNaさんである。台風後通行止めとなった横峰寺の遍路道の偵察に始まり、道中へのびっくりするような心遣いに溢れたお弁当の差し入れ、石鎚山への案内・同行、寄り忘れた納経所への車での往復、掲示板での盛り上げ・・・そのお人柄も含めて、私にとっては弘法大師と出会った感さえしてしまう方であった。
 
 さらに、途中、自宅へ招かれて昼食をご馳走になった新居浜市のTaさん、高松市在住のHYML(北海道の山メーリングリスト)会員のtakaさんは、2日にわたって最後のお寺で待っていてくださった。さらに、takaさんの紹介と言うことで宿まで訪ねてくださった丸亀市の山男Miさん・・・・・。

 あと、myHPでの掲示板は、これまでの愛読者や山やクロカン仲間以外にも、スタート間もないころからネット上の四国遍路の大御所である「掬水へんろ館」にリンクを貼っていただいたお陰で、遍路経験者からの心温まる多くの激励や感想などの書き込みをいただき、歩きと更新の大きな励みになった。
 
 これらの方々にこの場を借りて、心から感謝申し上げたい。
「本当にお世話になりました。ありがとうございます。」
 
 続・・40日間の「心の旅」を振り返るへつづく



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