5:00、最悪の場合、戻ることも視野に入れて早めに行動することにし、宿を出る。とりあえずは、9km先のこの横峰寺への遍路道へ繋がる県道147号線が国道11号線を横切る小松町大頭を目指す。
空が白んで来るに連れて周りの山々の稜線が浮かび上がってくる。どうやら、進む方向に見える一番高い山は、4日前に登った石鎚山のようである(1)。
6:45,国道11号線の横断歩道橋の上から、朝日を浴びて輝く石鎚山の手前の頂上にお寺らしき建物が見えるのが横峰寺らしい(2)。
道路を挟んで反対側を歩いていた早朝ウォーキングの女性が、わざわざこっちへ渡ってきて120円を差し出し、「ご苦労様です。ジュースでも買って飲んでください。」と言ってくださる。朝から爽やかな気分になる。
○横峰寺を目指して登る
横峰寺への遍路道に続く県道147号線を登っていく。両側の沢という沢はすべて土砂崩れ状態である。根こそぎの倒木もあちこちに見られる。土砂が田畑や柿やみかん畑を覆っているところもある。川底も岩盤剥き出しの荒々しい様相の上に大きな岩が積み重なっている。湯浪神社の下の人家が数軒倒壊しているところもある。
8:00、県道147号線の終点の手前にある遍路休憩所に到着。そこに置いてあるノートを見ると、Naさんが下見に来たときの記録が書かれていた。こんなところでも彼の気持ちを感じて、心から感謝してしまう。
そこで、休憩がてら宿で作ってもらったおにぎりを食べようと開けるとうれしい気遣いの3色おにぎりであった(3)。
てっきり、その県道の終点から遍路道が続いているものと思って、200mほどその舗装道路を終点まで登っていくと、その先は瓦礫の山になった急な沢である。いくら台風の後とはいえ、こんなところが遍路道なはずがないと、Naさんに電話を入れると、休憩所の直ぐ先に石の階段があるという。見逃したらしい。
戻って、その階段に取り付く。その登り切ったところに「通行止め」の札が下がっているが、それを跨いで進む(4)。その先は沢沿いの道なので、崩壊が凄い。
大きな岩や倒木の間にコンクリートの橋だけが残り、岩や倒木を跨いだり、伝ったりして登っていく(5)。
しかし、それも300mほどで、沢から離れると、それまでの様相が嘘のように、
杉林の中の平穏な道となる(6)。
9:30、ようやく、山門に到着する。納経所に電気がついているのでホッとする。誰もいない静かな境内である。滅多に突かない鐘を力一杯鳴らし、
参拝を済ませて納経所へ行く。中から若いお坊さんが出てきて対応してくださる(7)。最近は、荒れた遍路道を登ってくる歩き遍路の人たちがぼちぼち増えてきているそうである。
参拝と納経を済ませて、下山しようとするところへ
、64番まで打ち終えてから車道を二人で上がってきたという、スーパー健脚大師こと北広島市のTaさんと感激の再会をする(8)。彼等はまた同じ道を戻るというので、そこで別れる。
○下りは、香園寺を目指して
下りは、ほとんどずっと尾根道で、まったく台風の痕跡のない快適な道が続く(9)。
2時間ほど下って行くと、尾根の端から急斜面のジグザク道を谷底まで下るが、その下が凄い。
やがて、香園寺の奥の院まで下ると、その痕跡はなくなり、そこで通行止めとなっている。無事通り抜けたことをNaさんに電話で報告し、丁寧にお礼を述べ、別れの挨拶をする。
奥の院の周りは紅葉がきれいである(12)。その後は柿とみかん畑の中に道を下り、13:00に近代建築風の
61番の香園寺(13)に到着する。
まだ早い時間であるが、朝5時から歩いているので、疲れもあり、ここの宿坊に泊まることにして、のんびりと過ごす。朝のお勤めはないが、
夜のお勤め(14)が19:00からであった。
般若心経を合計10回も唱えたので、しっかり、これまでのおかしいところをチェックできたのと、光明真言がこれまで「ま」抜けの部分があったことにようやく気が付いた。これまで間抜けな光明真言を唱えていたことになる。明日から、直そう!
○支出
賽銭80円、納経料1,000円缶コーヒー&スポドリ270円、ラーメン450円、缶ビール530円、 貸し浴衣315円、宿代6,810円<合計9,455円>