31日目 2004、11,04 (晴れ時々曇り)  54〜59番   <42.7km> トータル<824.1km>    

<月の家旅館>→(13.9km)→54延命寺→(3.4km)→55南光坊→(3.0km)→56泰山寺→(3.1km)→57栄福寺→(2.4km)→58仙遊寺→(6.1km)→59国分寺→(10.8km)→<ビジハウス国安>(東予市)

○早朝の大西町を抜けて、今治市へ
 今日は、今治市内に集中する6ヶ寺を打ち、明日の遍路道が崩壊して通行禁止になっているが、なんとかNaさんの情報提供に応えたい60番の横峰寺へ限りなく近づきたいので、5:15に宿を出る。

 まだ暗い中、菊間町の不夜城のごとき広い石油地下備蓄基地の前を通り、隣町の大西町へ向かう。国道196号線をクロスしながら、直ぐ側に続く昔の街道筋の道を快調なペースで歩く。1時間半で8kmの道を歩き、星の浦海浜公園で休憩し、昨日の内に買っておいたパンとNaさんからいただいたみかんとペットボトルのお茶で朝食にする。

 夜明け直ぐの目の前に大きなドックがみえる。その後に分かったが有名な新来島ドックである(1)。大西町の市街地を抜ける最中、集団登校の小学生に出会う。ここまでで、制服を着た子供を見るのは初めてである(2)。これまでは、北海道と同じで、制服や揃いの運動着姿を見ることはなかったので、新鮮な感じがする。その後直ぐに、屋根の上に水瓶を乗せた家を見つけ、驚いて写真に収める(3)。瓶からパイプでも通っているのであろうか?

○今治市内の6ヶ寺を打つ
松山市内には8ヶ寺と多かったが、この今治市内も6ヶ寺と集中している。しかも、最後の59番の国分寺以外は3km前後ずつ離れているので、参拝と納経の時間を入れても、ほぼ1時間で1寺のペースで歩くことができた。

 まず、宿を出て3時間の8:20、国道196号線から少し入る54番の延命寺に到着する(4)。次は、今治市内の市街地の中にある55番の南光坊へ向かう。市街地の山側の広大な墓地の中を通り、町へ下りていく。その途中で、今治城でもない高台にお城のような大きな建物が目に入ってくるどうやら、それはアパートのようであるが、通りすがりの人に聞いたら、やはりそうであったが、やや興ざめの感がないわけでもない。

 55番の南光坊(5)は町中にあるお寺である。そこから今治駅の裏側?(6)を通り、次の56番泰山寺(7)に向かう途中に高校野球で有名な今治西高の前を通る。

 泰山寺からは田圃の中に続く農道が遍路道となっている。やがて、蒼社川の橋を渡るが、その手前で遍路無縁墓の前を通る。思わず合掌する(8)。再び農道を通り、やや高台にある57番の栄福寺(9)に到着する。

  栄福寺からは、犬塚池という溜め池の湖畔からヒノキ林の中の道を抜け、みかん畑の連なる急な農道の中を標高281mにある58番の仙遊寺)へ向かう。とくに山門からは急な沢沿いに階段がくねくねと続き、久しぶりの山登りモードでたっぷりと汗を流す。

 11:50,汗だくで58番仙遊寺に到着(10)。境内で、その前の栄福寺でお接待でいただいた弁当を食べ、急な坂道を下って、6kmほど先の59番の国分寺へ向かう。途中から、眼下にこれから下りていく今治市街地が広がる(11)。

14:00、本日最後の国分寺へ到着する。バス2台もの団体が境内に溢れていた(12)。その時点で、10.8km先の東予市内のビジハウス国安に決めて予約の電話を入れる。

 あとは疲れた足を引きずり、県道156号線から159号線を繋いでひたすら歩き続ける。これまでで、2番目に長い43kmのゴールは11時間過ぎであった。しかし、その間、6ヶ寺の参拝と納経を済ませたので、歩きはかなり速いペースであった。

○お接待3件
 今日は、100円と手作りの数珠入れ?と手作りの弁当(13)1日に3件のお接待を受けた。100円は、泰山寺に向かう途中、スクーターに乗ってきた女性がわざわざ止まって差し出してくださった。数珠入れは、泰山寺の境内で車遍路の女性からをいただいた。中にはご自分の今年出版された3冊の童話の本と来年出版の決まったやはり3冊の童話の本の名前が印刷された紙片が入っていた。そのお礼がこの方の遍路の目的のようである。あとで、インターネットでその方の名前を検索してみようと思う。

 お弁当は、これもびっくりしたが、栄福寺の境内で、「歩きお遍路さんにだけ差し上げているのですが、お接待させてください。」と言って、そのお寺の奥さんなのか近所の方なのか分からない方からいただいた。

○納経所にて
 某寺の納経所で、納経帳に挟んでいる亡妻の写真を見た50代半ばの納経所の男性が「このきれいな女性は?」と聞いてくる。わけを話すと、その方の奥様も現在癌に罹り、すでに手遅れと言われたが数軒病院を回ってようやく手術ができた。しかし、すでにリンパまで転移しているので、覚悟はしているとのことで、私が妻の写真を持って歩いている気持ちがよく分かるとじみじみと話された。

 「手術できたということは、可能性が十分ある証拠です。気を落とさずに頑張って、奥様を大事にしてください!絶対大丈夫ですから・・・」と力付けてそこを後にする。しかし、境内から出て広い農道を下っている最中、その男性の気持ちを思うと涙が流れてしばらく止まらなかった。途中で逢った男性が不思議そうな顔をして頭を下げていった。

 次の納経所でも、やはりそこの男性が「きれいな方ですね。女優のプロマイドのようですね。きっと優しい方だったのでしょうね。こういう方に限って早く亡くなるのですよね〜。うちの親戚の人もすごくいい人で、若くして亡くなったのです。」と言ってくださった。

 さらに、最後の国分寺では、バス2台の団体が入っていて、納経所にはたくさんの納経帳や白衣、掛け軸が積まれていた。以前、35番の清滝寺での失敗を思い出し、ゆっくり待とうと思って入っていくと、団体の方の対応をしていた納経所の方が直ぐに目を留めてくださり、「どうぞ!」と言ってくださった。

○支出
賽銭240円、納経料3,000円、朝食パンほか540円、お茶150円、瓶ビール450円、宿代(朝食おにぎり)5,500円、パン&非常食&酒915円<10,795円>

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