30日目 2004、11,03 (晴れときどき曇り)  52〜53番   <32.9km> トータル<781.4km>    

<松山ユースホステル>7:15→(9.8km)→52太山寺→(2.6km)→53円明寺(えんみょうじ)→(20.5km)→16:30<月の家旅館>(菊間町)

○太山寺に三度(みたび)Naさん現る・・・そして、救いの仏に化す。
 いつもは夜中に何度も目が覚めたりして5時間ほどしか眠れないのに、目が覚めたら外が明るい・・・びっくりして時計を見たら6:30である。9時間も爆睡したことになる。道後温泉の効果であろうか?

 7:15,バイキング形式の朝食なので、久しぶりに主食にパンを食べて、直ぐに出発する。道後温泉の商店街を通り、次の太山寺までの遍路道のコースが3本あるが、一番近い乙コースを採る。2kmほど県道187号線を通り、途中からその1本北側の通りを歩く。そこから、通りすがりの人が「この川沿いにずっと行けばいいよ。」と教えてくれたとおり、その後、4kmほども川に沿って進む(1)。

 爆睡したせいか、足取りは快調そのものである。5km/時間ペースで歩ける。途中、みかん畑の農道の遍路道を通り、溜め池の堤の上を2回歩き(2)、およそ10kmの道のりを2時間で、9:15、52番の太山寺に到着する。

 ところが、1305年に建立された国宝の本堂の前に、2日前に石鎚山を案内してくれた松山市のNaさんが立っているのである(3)。もう逢うことはないと思っていたのにびっくり至極である。「ぜひ、見てもらいたいものがこのお寺にあるので、7時から待っていました。」とのことである。2時間も・・・またまた恐縮至極である。

 参拝を済ませると(4)境内にある焔魔堂へ案内される(5)。そこは、彼が子供の頃、よく母親に連れられてお詣りしたところだそうである。そこには、閻魔様に裁かれて天国と地獄へ分けられ、その行き先の天国絵と地獄絵が描かれている(6)。子供の頃に、その絵を見せられて、悪いことをすれば、地獄へ堕ちるということを何度も教えられて育ったそうである。だから、このような善人の塊のような人になったのかも知れない。

 その後、納経所へ行って、とんでもないことに気付く。それは、51番の石手寺で納経所へ寄るのを忘れて来ているのである。こちらの救いのために弘法様のお遣いのごとく現れたNaさんに車でピストンしていただくことになる。1時間半ほどのドライブを楽しみ、彼から松山名物の六時屋タルトというお菓子と友人の栽培しているみかんをいただき、太山寺の前で丁重なお礼の挨拶をして別れて、2kmほど先の53番の円明寺を目指す。

○瀬戸内海の景観が・・・
 53番の円明寺(7)を打ち終え古い家並みが続く堀江の町を通り抜けると(8)、数日ぶりに海岸に出る。その後は海岸沿いの国道196号線をひたすら歩く。

 北条市との境界を越えたところに遍路休憩所があるので、そこで、Naさんからいただいた六時屋のタルト(9)とみかんとお茶の昼食にする。

 北条市の市街地を抜け、みかん畑の連なる山を越すと、対岸の位置は分からないが、目の前に瀬戸内海の展望が広がる(10)。再び国道196号線を、左手にその瀬戸内海を眺めながら、今日の宿である菊間町を目指す。

○製瓦街道の中で
 やがて、菊間町の市街地に近づくと、国道沿いに製瓦工場がずっと続いている。聞くと「菊間瓦」というのは有名な瓦らしい(11,12)。途中で工場の中を見学させてもらい、聞くと、昔は70軒ほどあったが、今は不景気になって40軒に減ったそうである。

 その一角で、6人の子供たちがロープに石を結びつけ、カセットテープの音楽に合わせて、みんなで引っ張って、その石を上げたり下げたりしているところに出会わせる(13)。周りに大人が数人いるので、聞いた見たら「亥の子」といって、男の子が授かるように願うお祭りのような儀式なのだそうである。お祭りのときに、それを繰り返しながら町を巡って歩くのだそうである

○支出
賽銭80円、納経料1,000円、お茶150円、瓶ビール500円、宿代(朝食抜き)5,800円。

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