18日目 2004、10,22 (晴れ)  移動のみ  <34.7km> トータル<484.0km>    

<佐賀温泉>4:50→(34.7km)→14:50<民宿月白>(中村市)

○道を2度も間違い、合計で5kmほども余計に歩く。
 昨夜携帯の電波が弱くHPの更新ができなかったので、早朝再トライするつもりで早く起きたが、結局は不可能であった。時間をもてあますので、4:50、宿を出ることにする。これまでで最も寒い朝である。初めて長袖のシャツを着る。

 長距離トラックが轟音を立てて走る暗い国道56号線の歩道の役割も果たしている?側溝の蓋の上を、ヘッドランプを点けて、ひたすら歩く。空は快晴を約束するような満天の星空である。

 土佐くろしお鉄道の伊与喜駅までの5kmをちょうど1時間で歩く。そこから、国道56号線を離れ、熊井の集落を通過する道へ入る。ところが、この集落の中で、右へ進む標識を見落としたらしく、そのまま集落の中をまっすぐ進む。やがて、その道は未舗装の林道状態になり、どんどん山の中へ入って行く。

 今まで山中の遍路道には煩いくらい標識がぶら下がっているのにここにはそれがない。もっと早く地図で確かめればよかったのだが、どうやら自分の歩いている道はそのまま山を越えて佐賀港の方へ繋がる山道である。そのまま進んでもいずれは合流できるが、これまで可能な限り遍路道を忠実に歩いてきた自分としては、やはり戻るべきである。

 「四国のみち」の標識と電柱に↑マークも貼られているのにそれを見落とした分岐まで戻るが(1)、結局往復で40分も歩いたことになる。今日はペースがいいので3kmは余計に歩いたことになる。どうやら、集落の左側に見える立派な造りの家に見とれて歩いている内に標識に気付かず、そのまま左へ進んでしまったらしい。

 さらにもう一度、今日の宿である民宿月白への2kmほど手前の道でも、同じような失敗をする。鉄道の下を潜って、直ぐ右折しなければならないのに、その道が細い農道のような道なので、ここも県道339号線を直進してしまう。間違いに気付いて戻ったが、ここでも20分余計に歩いてしまった。どうも、今日は足の調子がよかっただけに、地図に対する集中力が不足していたようである。トータルで5km余計に40kmほども歩いたことになる。

○トンネルというものは入口が大きいが出口が小さい?・・・熊井トンネル
 熊井の集落から国道56号線へ合流する道の途中で古い熊井トンネルを潜る(2)。そのそばに立つ説明板によると、このトンネルは明治38年に完成したが、レンガは佐賀港から1個1銭の運び賃で小学生などが1〜2個ずつ運び、熊井側の石張りは二人の職人が右と左に分かれて腕前を競ったと言われる。
 完成したトンネルを初めて見て、「トンネルというものは入口は大きいが出口は小さいものじゃのう。」と言った人がいる・・・と記されている。確かに入口から向こうの出口を見ると小さく見える・・・もっともな勘違いの笑い話である。

○海辺に続く土佐西南大規模公園と景観美

 今日歩いた「黒潮一番地の佐賀町」の港から「鯨の見える町・大方町」を抜け、「清流四万十川とトンボの里・中村市」までの海岸線に、ずっと自然公園や海のスポーツレクリエーションゾーンとしての公園が整備されている。この途中の海岸の景観もなかなかなものである。佐賀町では、佐賀港の南側の鹿島が浦の景観も見応えがあった(3)。

 8:45,大方町に入るが、今日の目的地である中村町方向の海岸線を眺めながら、国道56号線をひたすら歩く(4)。大方町の浮鞭(うきぶち)という集落から、国道と離れ、海岸線に遍路道が続く。

 その先には入野の松原と長い砂浜が見えてくる。その松原の中に遍路道は続くが、そこへは凄く贅沢に作られた公園の中を通って松原大橋を渡らなくてはならない(5)。

 松原の中にずっと遍路道が続く快適なところであるが(6)、その直ぐ外側がずっと続く長い砂浜である。昔の遍路さんもきっと波打ち際を歩いたであろうと考え、途中から波打ち際をずっと歩く。砂が湿って埋まらないので、非常に歩きやすい。サーファーもたくさん波と戯れている。その中の一人にシャッターを押してもらう(7)。

 その砂浜の端まで歩いて、松原の端を抜けると、もの凄く広いいろいろな施設の整った公園となっている。その中に「海のバザール」というレストランを見つけ、まだ11:20であるが、そこで昼食にする(8)。

○レストランからHPの更新と掲示板のレスを
 昨夜の宿で、携帯電話の電波が弱くて、更新ができなかった。たまたま、昨夜、掲示板に書き込んでくれた方の一人が、やはりモバイル更新をしながら遍路旅をして、そのときに、食堂や漁協で電源や電話を借りて更新作業をしたとのことを書いてくれていた。そのことを思い出し、このレストランで電源を借りて、更新作業と掲示板へのレスを入れることができた。お陰で1時間も休み、午後からの歩きも快調であった。

○民宿月白 
 当初の予定は、四万十川の川口へ繋がる道を通り、明日、渡し船に乗って足摺岬にある38番の金剛福寺へ向かう予定であったが、その近くの「四万十の宿」に電話したら、宿泊代が一人なら16.000円とのことだったので断って、四万十川のそばにある民宿月白へ予約を入れる。

 
 国道56号線から四万十川の下流へ繋がる道を入るが、前述のように道を間違い、戻って、ようやく念願の四万十川の堤防の上の県道20号線へ乗る。あとで宿の女将さんから聞いたのだが、ちょうどそこは後川との合流点で、一番の撮影スポットであるらしい(9)。

○洒落た感じの民宿月白
 その直ぐ下流の民宿月白へ到着する。見た目、一般住宅のような建物であるが、中へ入ったらすべてヒノキ造りで、築30年には絶対見えないしっかりとした造りである(10)、部屋の天井も高く、あちこちに女将さんというよりはママさんと呼びたくなる雰囲気の女性的な細やかな洒落た心配りがなされている快適な宿である。浴衣でなくて、パジャマというのもいい。

 泊まりが一人だったこともあり、そのママさんといろいろお喋りをしながら夕食を摂る。東京に出ていた今から30年前に、自分の老後のために、親から譲られたこの土地に自分で設計してこの家を建てたそうである。今は、季節限定(東京にいた若いころから大相撲の大ファンで、相撲が始まると、場所を見に行くので休業)で、遍路さんやお得意さんだけを相手にこの宿を経営しているとのことである。俳句もたしなみ、生き方やものの考え方がなかなか魅力のある方で共感できる部分の多くある方だった。

○支出
スポドリ&お茶270円、昼食(天ぷら定食)1,000円、宿代(ビール1本込み)8,000円<合計9,270円>

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