御三流(404m)・越エバ(469m) <松前町>
<大鴨津川沿いの林道〜五番沢林道> 単独 18,6,7
松前町江良の鴨津川沿いの林道とその先の五番沢林道から2つの低山を登る


越エバ山へ向かう五番沢林道から見上げる御三流(1)

御三流の下山途中に見えた越エバ山(2)
   
○御三流
登り地 点
下り
6:30
7:55
尾根取付
頂 上
9:10
8:15
[1:35]所要時間[0:55]

○越エバ山
登り地 点
下り
 9:35
10:10
ゲート
頂 上
10:40
10:15
[0:35]所要時間[0:25]



 松前町江良の大鴨津川流域に、変わった名前の山が3山ある。御三流(404m)、健八流(539m)、越エバ山(469m)である。その由来は調べて見たが、いずれも全く不明である。
 ただ、地理學評論第25巻(昭和27年)「日本の山峰の語尾名とその地理學的意義」鏡味完二著によれば、「流」は、「嶺」と同じ意味で、分水嶺をなす山嶺の呼称とのこと。
 越エバ山は、北側を二越川が流れているが、それと関係あるのかどうか?しかし、片仮名のエバにいたっては、この日曜日に千歳マラソンで会った岳友のエバさんしか思い出せない。
                              
 おまけに、御三流と健八流は、読み方もまちまちである。特に、御三流は『日本山名辞典』では「ごさんりゅう」「おさんながれ」、北海道の山名をすべて収録した『北海道の山辞典・カムイミンタラ』では「おさんりゅう」、昔あった鉱山の名前は「おさんる」となっている。これだけまちまちということは、山の由来は全く分かっていないということなのだろう。健八も人名のようにも見えるが、まったく分からない。

 また、大鴨津川と小鴨津川流域には、戦前・戦後にかけて、6つのマンガン鉱山があったそうだ。それぞれの名前は、御三流(おさんる)・松前・新湯岩(しんゆがん)・稲倉沢・銭谷・三福とのこと。

 5/23の林道偵察では、これらの3山は、大鴨津川沿いの林道とその先に繋がる五番沢林道から登れそうなことを確認している。今回は、その中の御三流と越エバ山に挑戦した。なお、この2山は「地図がガイドの山歩き」のsaijyoさんの貴重な記録を参考にさせていただいた。


○まずは、御三流へ

  家を4:00に出て、松前町を目指し、江良の大鴨津川沿いの林道へ入る。4kmほど入った地点が、前に確認しておいた御三流の北東尾根への取り付きである。左から沢が入っているので、右の杉林の斜面に取り付いた(3)。その斜面を登り切ったら、薮で覆われた古い林道跡へ出る。それを左側へ進み、尾根の末端まで登る(4)
 そこから尾根に上がるが、下の方は薮が濃く、尾根地形がはっきり見えない。GPS頼りで、左手の顕著な北東尾根の方へ進む。


 左手に頂上へ直接つながる顕著な尾根が見えて来た。その尾根へ向かうはっきりとした鹿道が見つかり、それを辿ったら、c200で細い顕著な尾根に乗った(5)
 c200からの尾根は、右側がすっぱりと切れ落ちた細くて非常に急な尾根だが、薮が薄くなる。しかし、頂上までは、登山道然とした鹿道が続いていて、楽勝モードだった(6)
 薮山では、この鹿道が非常に助かる。しかし、もっとも厄介なネマガリダケ帯の中は鹿も歩かないようで、鹿道はないことが多い。


 崖の斜面にしっかりと根を張り、崖から張り出すように上に伸びる「根性ブナ」には感激する(7)。眼下には、6つのマンガン鉱山の内、最上流の稲倉沢鉱山跡の大きな露頭が見える(8)
  c250〜c300の間は、特に急で、ササや灌木に掴まり、喘ぎながら登る。5分ごとに休んでは、呼吸を整えた。


  c350まで登ると斜度が緩む。その地点が、五番沢林道から見上げた尖った前峰である。そこから少し下って登り返し、平坦な長い頂稜を進む。頂上が近くなると、尾根の幅が広くなる(9)
   頂稜の鹿道は、薮の薄い稜線の少し北側に続いている。鹿も、薮の濃いところは避けるようだ。オオバウスノキ?と思われる花が咲いていた(10)。 

頂上は、長い頂稜の一番奥である。予定通りの1時間30分に5分お釣りの来る時間で、GPSがなければどこが頂上か分からない平坦な頂上に到着。見渡しても、さすがピンクテープはなかった。
まずは、三角点を探す。足で草や枯れ葉を除けながら歩いていたら、5分ほどで、2個の石を踏みつけた。もしかしたら、三角点の保護石かもしれないと、そばを探したら地面から飛び出している三角点が見つかった。、 珍しく4個の保護石もきちんと残っている。周りをきれいに刈払って、4個の保護石も入れて撮影(11)三等三角点で点名は「御三岳」である。この別名で「ごさんだけ」と呼ばれることもあるようだ。
 山頂からの展望は木が濃くてよく見えない。しかし、南側に、未踏の笹山が見えた。名前通りに山頂部には木が生えてなくて、笹原が広がっているようだ。この山は、小鴨川沿いの林道から沢詰めで登ってみようと思っている(12)

○次に、越エバ山へ

 御三流を下山後、すぐ先から繋がっている、地形図に記載されていない五番沢林道を進む(13)。その表示にある通り、ちょうど3kmで林道ゲートがあり、そこが「五番沢林道終点」となっていた(14)。この地点が、越エバ山への最短距離の地点である。
 スタートしようとしているところへ、上から軽四トラックが下りてきた。この山の名前の由来を聞いたが分からないとのこと。この先の林道も地形図には載っていないが、は、かつては松前から大千軒岳登山口を経由して、上ノ国町石崎へ抜けることができた道々へ通じているらしい。

 スタート地点から、山の姿も高いところも見えないので、GPS頼りで、方向を見定めて笹やぶに突入。すぐに下って行って、沢を2つ越えた先から尾根地形を進む。


 広い尾根は、ずっと胸丈ほどの笹やぶだが、密度はそれほど濃くないので、胸で掻き分けながら登ることができる(15) 一度下って両側から沢が突き上げているコルを越えると、再び広い尾根となり、高い方を狙って登って行く。
 30分ちょっとで、頂上に到着したら、三角点が飛び込んできた。刈り跡をみると新しいので、最近誰かが登って来て周りをきれいに刈払ったようだ(16)ここの三角点は三等で、点名は「坊主山」である。 山容からするとそんな感じだが、なぜ、それが意味不明の越エバ山になったのか不思議である。


頂上からは、北側に、今は亡き児玉さんと原口から往復11時間半もの薮漕ぎで登った神ノ山が見えた。このような形のよい山だったことが初めて分かった(17)
その東側には、最難関の1つと思われる未踏の木無山も見える(18)この木無山だが、故齋藤浩敏さんは、今日の発着地点のゲートから、先に続く林道を5kmほど歩き、尾根に取り付いて13時間で往復している。いずれ、自分も、そのルートで登るつもりだ。これまで参考にして来た彼のタイムからすると、10時間で往復できそうだ。

 下山は、最後の方は、登りで横切った2本の沢が合流している所で横切って、林道へ直接出た。車まで30mくらい下だった。
 ゴールしてまだ10:40だった。しかし、今日の予定はこれで十分だった。健八流も登ろうと思えば可能だったが、この山は、近々、jyunさんと一緒に登る予定である。汗でずぶ濡れになった衣服のダニチェックをして着替えた。

○五番沢林道から眺める「健八流」と「笹山」

  林道で、今年最後の山菜となる天ぷら用のウドの芽の部分を探しながら下った。同じことを考えた人がいるらしく、大きなウドは全部、その芽の部分が採られたばかりだった。
 途中から、どちらも未踏の健八流と笹山が見えた。五番沢林道始点の少し手前の林道分岐から、健八流への西尾根の取り付き部分へ入る林道を偵察して、帰路に就いた。

 国道に出たら、11:30になっていた。久しぶりに吉岡温泉ゆとろぎ館でのんびりし、15時には帰宅した。


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