5:50 自宅発
6:15 賀呂川沿い林道の積雪地点
登山 | 地 点 | 下山 |
6:30
7:15
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8:40 |
車デポ地点
林道分岐
(尾根取り付き)
頂 上 |
11:10
10:30
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9:15 |
[2:10] | 所要時間 | [1:55] |
12:00 遊楽亭(入浴)
14:00 横津岳道路偵察
15:00 帰宅
|
この山は、八雲市街地奧の賀呂川の上流部に聳え、市街地からもその姿を望むことができる(1)。
北海道にはガロに由来すると思われる地名が非常に多い。道南だけでも、賀老川、賀老の滝、ガロノ沢、ガロウ沢、俄郎、峩朗鉱山・・・・。この山の由来となっている賀呂川もそのひとつであろう。一見アイヌ語のようだが、ガロとかガロウというアイヌ語はないらしい。崖が崩れている地形をガレというが、この日本語がもとになっているのだろうか?
道南の登山道のない薮山(良く言うと秘峰)を登りまくるSHOさんとTaさんと、3人とも未踏だったこの山に向かうことに・・・。予定のルートは、賀呂川左岸の北東尾根に続く林道を詰めて、三等三角点ピーク365.8(点名・営林境)からそのまま尾根を辿るコースである。
一つ一つの山の重なりまでくっきりと見えるスカッ晴れの下、目指す山やこれから辿る尾根を眺めながら、賀呂川沿いの道に入る。正面に目指す山が見える。
林道は、最終人家から1.4kmほど進むと、トドマツ林の中に残る雪のためにそれ以上は入ることはできなかった。しかし、その林を抜けると、また、しばらく雪のまったくない夏道状態続く。Taさんは歩くスキーを担ぎながらの歩きとなる。1kmほどでようやく雪が現れる。ツボ足でも全く埋まらない状態で快調に進む。
45分ほどで、林道分岐にぶつかる。その先の高いところが、三角点ピークである(2)。そこで、林道を離れ、その間の尾根に取り付き、三角点ピークに立つ。
右手には、狩場山塊からニセコ方面までの真っ白な山並みを眺めることができる(3)。その後暫くは平坦な尾根を進むが、ところどころにネマガリダケの薮が顔を出す。徐々にそれもなくなり、幅広の快適な尾根を進む。
振り返ると、噴火湾越しに羊蹄山やその周りの山並みもくっきりと見え、休憩がてら、それらの山座同定を楽しむ(4)。
やがて、目指す頂上が目の前に見えてくる。晴れ渡った青空に一直線に延びていく飛行機雲が美しい(5)。
頂上手前のc600ポコへの急登の下で、Taさんは歩くスキーをデポし、プラブーツに履き替え、ツボ足となる。
登り初めて、直ぐにクマの足跡のようなものが尾根上に続いているのに気付く。しかし、よく見ると、それはプラブーツの古いトレースである。こんな山に登る人が我々の他にいるのかと驚く。多分、そこまではスキーでやってきて、ツボ足に切り換えたのであろう。
頂上直下は、標高差100mの急登となる。古いトレースを利用し、キックステップを利かせながらの登りとなる。
やがて、斜度が緩み、頂上が近づいてくる。根元から分かれ大木は樹木の専門家のTaさんからシナノキと教えていただく(6)。このほかにこの付近には直径1mもあろうかと思われるブナの大木も数本生えていた。
夏道状態の林道やツボ足でも埋まらない堅雪のお陰で、わずか2時間10分の呆気ない登頂であった。
頂上へ着いて、一番先に目に飛び込んできたのは、その周りの5本ほどのダケカンバの幹に巻き付けられたピンクテープである。登山者のすることではない。多分、二等三角点(点名・賀呂山)なので、その測量かその準備のために夏にでも付けられたのであろう・・・ちょっと、興ざめだった。
気を取り直して、周りの展望を楽しむ。やや立木が煩くて、すんなりと見えないが、場所を移動してそれらをカメラに収める。
真南には、まだ3人とも未踏の900m超峰の難峰・沖沢山を間近に望むことができ、挑戦意欲を掻き立てられる(7)。
西側には、やはり3人で2年前に登った隣の三角山とその奥に大きな遊楽部山塊が見える。東面の崖の雪をすっかり落とした尖峰・岩子岳も懐かしい(8)。
それらの展望を十分楽しんだあと、南西の雄鉾岳をバックに記念撮影(9)。
下山は、岳友のSaさんがまだ雪深い2月に15時間掛けて山スキーで日帰りしたという札幌山から沖沢山まで繋がる長大な尾根をじっくり観察しながら下る。
アップダウンはあるが、怖そうな痩せ尾根もなく、この雪の状態であれば、12時間もあればなんとか往復できそうな感じである。しかし、札幌山への登りの雪の状態は、ここ数日が限界である・・・・。
下山しても、まだ11時過ぎといううれしい時刻だった。自衛隊の敷地の外から、この山を中心とした山並みを眺めながら、一山増やすことができた満足感に酔い、国道沿いの遊楽亭でゆっくり入浴。時間的余裕もあるので、横津岳への道路のゲートが昨日開放されたという情報を確かめがてら、除雪最終地点の旧横津国際スキー場の下まで往復した。まだビッシリと雪で覆われていて、登山者のものと思われる車も数台停まっていた。