日目 4/19,ナムチェから一気に長丁場のルクラまで

ナムチェ発6:00〜11:40パクディン(昼食)12:30〜ルクラ着16:10   (徒歩時間 9:20)

○登りで4:30掛けた道を1:30で下り、谷沿いの道へ

 今日は、実質的なトレッキング最終日で、もっとも長丁場の行程である。高所順応の必要もないので、登りで2日掛けた道を1日でルクラまで下るのである。街はすっかり雪化粧をし、コンデ・リもガスにその姿を隠したままである。しかし、幸いなことに路面が凍るほど気温は下がっていない。5:00にモーニングティー、5:30に朝食を摂り、6:00には出発の予定である。昨夜ビールを飲んで熟睡したのはいいが、腹の調子が良くないので、食事も少なめにする。

 まずは、標高差600mの吊り橋までの急な下りである。真っ白なナムチェの街に別れを告げて(1)小雨の中を下山を開始する。街から少し下がると、道には雪がなくなり、ときどきガス間から谷間の向こうに山肌が覗く(2)

 来るときのエベレストと2回目の対面地点であった元茶屋跡でも、ガスでエベレストはおろか他の山々も全く見えない。休憩して楽しむ展望のないこともあり、高所順応を兼ねて登りで4:30も掛かったドゥードゥーコシ川とポーディコシ川の合流地点の吊り橋まで(3)わずか1:30で下ってしまう。

 雨脚がだんだん強くなってくる中を、昼食場所であるパクディンまで、多くの吊り橋を渡りながら谷間の道を下る。昨日から雨が降ったせいか、周りの木々も心なしか芽吹きを増やし、道端に往きでは目にしなかった花も咲いている(4)

 5時間以上歩き、ようやくパクディンの家並みが見えてくる(5)ドゥードゥーコシ川に懸かる最後のつり橋を渡って、11:40、パクディンに到着。昼食は腹の調子が良くないので、少ししか食べないでおいた。

○いよいよラストステージの歩きを楽しむ

 ここからルクラまでは最後のトレッキングである。雨の中、遠望は利かないので、道沿いの景観や人々の生活ぶりを楽しみながらの最後の歩きを楽しむことにする。

 道端の斜面には段々畑が広がるが、今はジャガイモと小麦と野菜がメインである。畝を作る習慣はないようである(6)

 
 途中で、往きでは目にした覚えのない火事跡を通過する。石積みの壁もすっかり崩れて、焼け棒杭になった木の柱が道端に積まれていた(7)消防施設などない地域である。多分自然鎮火を待つしかなかったのであろう。シェルパの話では5軒が焼けているとのことである。後で聞いたことであるが、このうちの1軒はサーダーの奥さんの親戚で、火事の原因は子供の火遊びだったそうである。

 雨も上がったが、長丁場でみんな疲れが出てきたのか、後半は先頭のシェルパのペースについていくのが私を含めての4名とそれ以外の人たちと離れがちになるので、休憩しては後ろを待つ時間が長くなる。途中で、ツアーリーダーが「待たないで、先にロッジへ着いていてもいいですよ。途中迷うようなところもないので・・・」と言われる。それを先頭のシェルパに伝えたら、高台にルクラの街が見えたころからは、ペースを上げて歩き出し、着いていけるのは私だけとなった。

 途中で、子供達が遊んでいるところに出くわす。この子供は英語もペラペラなのには驚いてしまう。女の子の話では2人がシェルパ族の兄弟で3人がネパール人の兄弟だそうである。日本語の挨拶も覚えていた(8)

 16:10、スタートして10時間以上も掛かって、まず、シェルパと私がルクラのホリディロッジに到着する。最後が到着したのが17:00少し前であった。みんながそろった段階で、ツアーリーダーのKaさんから明日の予定が話される。

 明日飛行機で下りるはずのカトマンズは、明日は、王政に不満を持つ政党や市民の大規模なデモが予定されているので、カトマンズ市内は外出禁止令が出され、交通機関も全面ストップするので飛行機も飛ばないそうである。やむなくこのルクラで1日停滞し、連泊せざるを得ないとのことである。

 本来であれば、サーダーを初めとするサポートスタッフと過ごす最後の夜のはずである。食後、コックが作ってくれたケーキを食べ、地酒のロキシー(焼酎の仲間)とチャン(濁酒の仲間)を飲んで、ロッジの前の通りを兵隊が巡回しているので、静かに過ごす。ケーキには一同大喜びであった(9〜11)昨年のランタントレッキングの最後のシャベルベンシでの夜は私の誕生日だったこともあり、ケーキにローソクを立てて祝ってもらい、地酒のロキシーを飲んで、歌って踊って大騒ぎをしたのを思い出した。腹の調子が悪いので、ビールも余し、ロキシーもチャンもわずか口をつけただけであった。

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