日目 4/15,ナムチェからホテル・エベレスト・ビューを往復

(往)ナムチェ発7:30〜シャンボチェ9:15〜パノラマロッジ9:45〜ホテル・エベレスト・ビュー着10:25
(復)ホテル・エベレスト・ビュー発11:25〜ナムチェ着13:00   (徒歩時間 4:30)

○シャンボチェの丘の上からのエベレストを中心とした大展望に感激

 5:40、ナムチェの西側に聳えるコンデ・リ(6011m)が朝日を浴びて輝き出す(1)。毎日朝食はお粥が用意されるのでうれしい。今朝はそれにやや蒸しすぎた茶碗蒸しが付いた。毎食野菜はふんだんに出される。

 7:30出発。ナムチェの裏の急な道を登っていくと、上からきれいに着飾った女性が次々と降りてくる。何気なく、街を見下ろすと街の入り口の右上の方に人混みが見える。どうやらここがこの街道一のバザールの会場のようである。すなわち地名にもなっているナムチェ・バザールである(2)。これらの女性や多くの人たちは、このバザールへ買い物に行く人たちなのであろう。どうやらこのバザールは毎週土曜日に開催されるらしい。

 このナムチェは、昔からヒマラヤを越えてチベット側からやってくる人々との交易の村として栄えたシェルパ族のメッカである。彼らの祖先はもともとチベット側の民族で、16世紀にチベットを離れ、南方のネパールに移住してきたとされている。今でも、時には、チベット人が国境を越えて中国製のじゅうたんや靴や衣服を持って、このナムチェバザールにやってくるらしい。

 途中の岩の上で、後から来るメンバーを待つ間にシェルパと一緒にコンデ・リをバックにカメラに収まる(3)。やがて、シャンボチェの飛行場(未舗装で、今はヘリの発着にしか使用していない)を通り抜けて、丘の上へ登っていくと、その向こうに突然にょきっと頭を出す山がある。これが奇異な尖峰で有名なアマダブラム(6814m)である(4)。

 丘の右肩にロッジが見えるので、そこを目指して登っていく。、そのパノラマロッジの裏から回るように谷の上に出ると、目の前にエベレストを取り囲むクーンブ山群の山々の大展望が広がり、大歓声が上がる。左からタウツェ(6542m)、エベレスト、ローツェ、アマダブラムの4点セットである(5)。もちろん。これ以外にも360度の大展望が広がる。それらの大展望を楽しみながらその先の松林の中に立つホテル・エベレスト・ビューを目指す。さらにその先の丘の上に明日泊まるタンボチェの村も見えている。

 


○ホテル・エベレスト・ビューのテラスで大展望を満喫し、ナムチェへ戻る

  このホテルは、日本人の宮原巍(みやはらたかし)さんが、エベレストが見えるこの地(3881m)に世界最高所のホテルを建てるという壮大な夢の実現を目指し、1972年に竣工を開始したホテルである。プロジェクトは当初大変な困難を要したが、シェルパたちの温かい協力にも助けられ、現在に至っているそうである。当初はこの下のシャンボチェの飛行場へ直接ヘリや飛行機でお客さんを運ぶ計画だったらしいが、いきなり高いところへ飛んでくるので、高所順応がうまく行かないで高山病のお客さんが続出して、この計画はうまくいかなかったらしい。
ホテル・エベレスト・ビューとその付近からの大展望の山々

コンデ・リとテンギラギタウ(右奥)

シャルパ民族の神の山・クンビラ

頂上に氷河を乗せたカンテガとタムセルク

タウツエ

ヌプツェの稜線奥に頭を出すエベレストとローツェ(右)

屹立するアマダブラム

 ホテルのテラスでこれらの大展望を楽しみながらコーヒーを飲み、1時間ほどくつろぐ。11:30、下山を開始する。左の斜面の下に明日タンボチェへ向かう道も見え、その下の谷に昨日渡った高い吊り橋も見えている。帰りはずっと下りなので登りの半分の時間で下ることができる。

 ナムチェの街を上から見下ろしながら下っていくと(6)、朝は上から下ってきた人たちが、バザールで買ったものが入った大きなリュックや袋を担いで、次々と登ってくる(7)。

 13:00、ロッジ到着。昼食はうどんとコロッケほかであった。昼食後、街へ出てお土産を物色して歩いたが、何も欲しいものがなくブラブラしただけで終わった。しかし、なんとインターネットカフェがあるのには驚いた。電気が引かれて、一気に電化文明が入ってきているらしいが、これだけの街並みに車が走っていないのが不思議な気がする。

 ロッジに戻って、寝袋に入り、本を読んで過ごした。夕食には、ご飯におでんとチキンのから揚げ、鶏肉と玉ねぎの油いため、オクラのたたき、漬物であった。

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