3日目 4/14,パクディンからバザールで有名なシェルパの里ナムチェまで

パクディン発7:30〜ジョサレ11:30(昼食)12:30〜ナムチェ着17:15 (徒歩時間 8:45)

○午前はドゥードゥコシ川の谷沿いの道をジョサレまで 
 トレッキング2日目の朝を迎える。今日は2610mから3440mまで標高差800mの行程である。今回もツアーリーダーがダイアモックスという高山病予防薬を持参したが、昨年のランタンより行動高度が低いので、今回は試しに服用しないで通すことにする。陽射しが強そうなので、顔を薄いハンカチで覆って歩くことにする。

 7:30出発。今日の午前中は、ドゥードゥコシ川の右岸左岸と渡りながら歩くので私の苦手な吊り橋が多いとのこと。荷物を背にしたゾッキョも渡るのにビビッてはいられない。思いっきりのガニ股で歩くと怖くないことが体験的に分かってからはそれほど気にしないで歩くことができた。

 1時間半ほど登っていくと、合流する谷の正面にタムセルク(6618m)のほぼ垂直に屹立する南面が見える絶好のポイントに到着する。しかし、逆光気味でいい写真が撮れなかった。そこから1時間ほどの地点でようやくヒマラヤ襞の認められる写真が撮れた(1)。

 道端には日本人が持ち込んで植えたという満開のソメイヨシノの花が目に付くようになる。その谷の正面には、シェルパ民族の山の神と崇められ、神の名前がそのまま山名になったクンビラ(5673m)が見えるようになる。この山は唯一登山が禁止されている山でまだ誰も登頂していないそうである(2)。

 この街道沿いにはロッジや民家が多く、どこでも屈託のない可愛い子供の姿が目に付く。「ナマステ!」「こんにちは!」と声を掛けてくれる(3)。4時間ほどで、昼食場所のジョサレに到着。昼食には野菜てんぷらが出され、一同歓声を上げる。てんぷらはこの後さらに2回ほど出された。

○念願のエベレストとの対面が待つ標高差600mの登りでナムチェへ
 
 12:30、昼食を終え、正念場の登りに備えて再スタート。進む前方の急な広い尾根にジグを切って登る道とそこを進む人の姿も見えている、まもなくしてドゥードゥコシ川とボーディコシ川の合流地点に懸かる一番高度差のある吊り橋が見えてくる(4)。

 恐々その吊り橋を渡りきったところから、ドゥードゥコシ川の谷の奥に雲が纏わりついたエベレストがチラチラとその姿を見せている。念願の世界最高峰との対面の瞬間である。その手前の左斜面には、今回のツアー最終地点であるタンボチェへの道も微かに見えている。そこから30分ほど登り、昔茶屋があったいう休憩地点に到着すると、すっかり雲の取れたエベレスト(8848m)がすっきりとその姿を見せてくれる。その右手前のローツェ(8516m)は雲が纏わりついたままである(5)。

 さらに高度を上げて振り返ると、クスムカングル(6370m)がようやくほぼその全容を見せてくれようになる(6)。この山は昨日から目にはしていたが右側の黒い峰しか見えなかった。道は急だが、松林の中なので涼しく、谷沿いの道と違って、足に優しい土の道である。高度順応をしながらイライラするくらいのビスタリーモードで休み休み登っていく。たくさんのトレッカーの中では最も遅いペースで、どんどん追い越されるが気にしないことにする。

 やがて、道端にこの時期に咲くのは珍しいとされるヒマラヤ・アイリスを見つける。半月〜ひと月ほど早いらしい(7)。ツアーリーダーのKaさんも話していたが、今年はかなり気温が高い日が続いているようである。この花は、この後、ナムチェからタンボチェまでの間では至る所でその群生を目にすることになる。

 やがて、斜度が緩み、ナムチェの村が見えてくる。左側にはコンデ・リ(6011m)とその奥に端正なテンギラギタウが聳えている。村の入り口には銃を構えた兵隊の詰め所がある。

 ゲートを潜ると、コロシアム(円形劇場)のような地形に人家が立ち並ぶナムチェの村へ入っていく。ゲートを潜ったところにヤクが迎えてくれた。ちなみにゾッキョは父親がヤクで母親がウシだそうで、ヤクの方が高度の高い方に棲むのだそうである(8)。

 商店街の中を抜けて(9)、階段状の道を登り、今日の宿であるロッジを目指す。新築中の家の軒下を通り抜けると、日本名のサクラゲストハウスへ到着する。このロッジは、明日も連泊となり、タンボチェから降りてきてさらに1泊と、合計で3泊もするロッジである、部屋は昨日よりベッドとベッドの間が狭い感じである。

 部屋の窓から西側にコンデ・リが見えるので、明日の朝日に輝くのが楽しみである。血中酸素濃度も91%で体調はバッチリのようである。

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