2日目 4/13,カトマンズからルクラへ飛び、パクディンまでトレッキング開始

ホテル発5:15  カトマンズ空港発6:20〜ルクラ空港着6:50  ルクラ発8:00〜11:25タドコシ(昼食)12:40〜パクディン着14:10   (徒歩時間 5:00)

○まずは空路で、エベレスト街道の表玄関ルクラへ
 世界最高峰エベレストを取り巻くクーンブ山群を眺めながら歩くトレッキングもそれらの山の登頂遠征隊もすべてこのルクラ(2800m)からスタートする「エベレスト街道」を歩かなくてはならない。この奥にも多くの村が発達しているので、それらの生活道路でもある。空路が開かれる20年以上も前は、1週間も歩いてこのルクラまで来て、さらに奥まで進んだのだそうである。すなわち、このエベレスト街道はエベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿も日本の女性初登頂者の田部井淳子さんも初めてスキー滑降をした三浦雄一郎さんもすべて歩いた道なのである。

 4:00のモーニングコールの前に起床して、これから7日間は浴びることのできないシャワーで体を清める。4:45に、成田組5名(長野市の男性1名Oさんと女性2名KiさんFuさん、豊橋市のNaご夫妻)との対面を果たして朝食を摂る。ツアー参加者で私以外は全員ネパールは初めてだそうである。まだ暗い5:15にはホテルを出発する。すなわち、6:30予定の国内線に乗るためである。しかし、その国内線は何度も経験のあるツアーリーダーのKaさんによると、その時刻に飛んだためしがなく、ひどいときは昼近くになるとか・・・・。空港には早朝にもかかわらず、多くの欧米人や日本からのほかのツアーの方でごった返していた。

  ところが、6:00には予定通り飛ぶとのことで、搭乗手続きを済ませて、バスで飛行機のところまで誘導される。飛行機は17人乗りの双発プロペラ機である(1)。小さな飛行機で不安だが、この空路ではまだ一度も事故が起きていないとのことで、命預けます状態で狭い機内へ乗り込む。遅いどころか、10分も早く飛び立ち、ツアーリーダーのKaさんが驚いている。

 40分ほどでルクラへ到着する。ルクラ飛行場は、谷へ向かって緩やかな下りとなった短い滑走路が延び、プールにはこの小さな飛行機が4機だけ溜まることのできる狭い空港である。次々と飛んできてはトレッカーを降ろし、下山してきたトレッカーを運んで飛び立っていく(2)。

 5分ほど歩いてロッジに入る。そこで、サーダーを初めとする我々のサポート隊と合流する。今回のサポート隊はサーダーのほかにシェルパが3名、コックとキッチンスタッフが7名、ポーターが5名の合計17名である。昨年のランタンに比べてキッチンスタッフが多くポーターが少ないのは、キッチン関係の炊事用具、食器、食材、燃料等はキッチンスタッフが運び、ポーターは、すべてロッジ泊なのでテントやマットを運ばなくて済み、私たちの荷物と寝袋などだけだからのようである。

○いよいよトレッキングスタート

 8:00、一休み後、ロッジを出て両側に店やロッジが並ぶ中心街を通り、トレッキングスタートである。村はずれには日本の仏舎利塔のようなものが上に祀られたゲートが建ち、その下を通る。その先には端正なヌプラ(5885m)が見える(3)。その先には数人の兵隊が立っていた。

 高度順応を意識した超ビスタリーモードで1時間ほど下ると、ドゥードゥコシ川の谷沿いの道となる。振り返ると、バックに白い稜線を配した高台にルクラの村が見える(4)。

 道は1〜3mほどで、踏み跡程度だった昨年のランタンに比べると格段に広く非常に整備されていて、トレッカーのほかにトレッカーや遠征隊の荷物や必要物資、奥にある多くの村への生活物資などを担ぎ上げるポーターやゾッキョの往来が非常に激しいのに驚く(5)。トレッカーは圧倒的に欧米人が多い。道端には、サクラソウ(6)とシャクナゲ(7)が目に付く。 
 向かう先や道の両側には、ヌプラの右奥にグンピラ(5761m)(8)、コンデ・リ(6185m)(9)、クスムカングル(6370m)などの山々が見える。それらの眺望を楽しみながらもゾッキョの糞を踏まないように歩くのはなかなか容易ではない。乾いた糞なら我慢できるが、生々しいものは靴底にへばりついてなかなか取れないのである。

 11:25、タドコシという小さなロッジ村に到着。ここでは、先回りをしていたコックとキッチンスタッフによる昼食が用意されたいた(10)。私は昨年のランタンで経験済みであるが、ほかのメンバーは初めてなので、その手際のよさと食事の内容にびっくりして感激していた。1時間15分ほど休憩して、今夜の宿泊地・パクディンを目指して再びスタートする。

 道端のいたるところに、今では僧侶以外は誰も読み書きができないというシェルパ語のチベット仏教の経文が刻まれた石板や岩が設置されている。このようなところは左側を歩くのが慣わしである(11)。

 1時間半ほど歩き、まだ14:10であったが、ロッジが20数軒ほど並ぶ今日の宿泊地であるパクデン(2610m)に到着。宿泊ロッジはクーンブ・トラベラーズ・ゲストハウスである(12)。

 そのロッジでは家族の葬式が執り行われていた。チベット仏教の葬式を垣間見ることができたのは貴重な経験だが、夜遅くまでたくさんの僧侶による楽器演奏や歌のようなお経が続いたのには閉口した。

 このエベレスト街道のロッジ村には、小さな水力発電所が作られていて、我々が辿ったタンボチェまでのすべてに電気が通っていたのにはびっくりした。昨年のランタンの谷沿いは、かなり下のバスが通っていたシャベルベンシでは電気が引かれていたが、その上のロッジは、ソーラーによるバッテリーへの蓄電だけだったのと比べて雲泥の差である。

 部屋は、狭いながらも、ドアの両側に木製の簡易ベッドが設置されたツインタイプであった。ベッドの上にマットレスとシーツが敷かれ、その上に、ポーターが運んでくれる私たち個人用の寝袋で寝るのである。これは、どこのロッジも同じタイプであった(13)。シングルタイプの部屋もあるようで、トイレもすべて室内の電気が点く簡易水洗トイレである。昨年はすべてテント泊で、ヘッドランプを点けながらテントから這い出し、寒い屋外の粗末なトイレで用を済ましたのに比べれば、快適この上ない環境である。

 夕食は、ご飯、味噌汁、冷奴、ウインナーと野菜の炒め物、ほうれん草のおひたし、野菜サラダ、キムチと漬物の日本料理に現地のパーパイという薄いナンのようなパンが付いていた。今回のコックは、トレッキングに同行するコックの中で日本料理にかけては1との評判の方で、質も味も日本料理そのものであった。雨季にはカトマンズの日本料理店で修行をしているそうである。
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