「日本三百名山」完登を振り返る


○「日本三百名山」選定の経緯
  1980年代半ばまで出版されていた日本山岳会の編纂による『山日記』の昭和52年版(1977年)に初めて「日本三百名山」(案)として発表。検討の上、入れ替えが行われて昭和53年に「案」の文字が削除された。選定にあたっては、深田久弥の『日本百名山』はそのままに採用し、あらたに二百山を加えている。

 なお、「日本二百名山」は、「日本三百名山」よりあとの昭和62年(1987年)に作られたもので、深田クラブが選定に当たっている。ただし、このとき、三百名山にない新潟県の荒沢岳を加えている。したがって、これも登れば、301山となる。もちろん、自分も登った。

○北海道の山に不利な?「名山の条件」
 「日本三百名山」選定に当たって、その基準を「多くの人に知られていること」「時間的にも空間的にも、広く、立派な山として知られていること」、さらに、参考にしたとされる深田久弥の「日本百名山」選定の条件は「山の品格」「山の歴史」「個性」、付加条件として「1500m以上」を挙げている。「日本三百名山」は900mくらいまで下げたようだが・・・・。

 ところが、北海道からは、残念ながらわずか26山しか選ばれていない。登る前から、日本国土に占める面積の割合や山の数からしても、「ずいぶん少ないな〜」と思っていた。実際登ってみて、道外には、「なぜ、こんな山が選ばれているのだろう?」と疑問に思う山も少なからずあったので、北海道にはまだまだ選ばれても(入れ替えても)いい山がたくさんある・・・と言うのが実感である。(それらの具体的な山名は後述)

 選定条件で、北海道の山に不利なのは、「山の持つ歴史」と「多くの人に立派な山として知られていること」であろう。道外の山は、修験の山や山岳信仰の対象として、1200年以上も前に開山されたり、古くから参拝登山など、庶民の生活と結びついてきた歴史の深さがある。その点、北海道の山は、明治以降のスポーツ登山としての歴史しかない。

○「日本三百名山」踏破の経過
  「日本三百名山」が注目されてきたのは最近で、それもブームとなった「日本百名山」を登り終えた人が、新たな目標として登るようになってからのようである。最近になって判明した道内の完登者の旭川のKa女史や札幌のU氏もそのパターンである。

 自分が「日本三百名山」を登ろうと思った一番のきっかけは、「時間の取れる退職後には、道外の山にも登ってみたい」と思ったことである。それまでは、道内の山ばかりであった。その対象として「日本百名山」もあるが、これは余りにも多くの人が登っている。そこで、どうせやるなら、完登できるかどうかはともかく最初から「日本三百名山」を狙うことにした。

   『日本三百名山登山ガイド(上・中・下)』(山と渓谷社発行)を購入して、それを実行に移したのは、退職1年後の2005年であった。それまでに、道内の26山はすべて登っていたし、前年2004年の四国遍路の途中で西日本の最高峰である石鎚山に登っていた。そこで、2005年には一番遠い宮ノ浦岳狙いの屋久島旅行からスタートした。それ以外は、10日以上のまとまった日程の取れたときに、車をフェリーに積んで車中泊で移動しながら、その地域の山をローラー作戦的に登り歩いた。幸い、体力的に恵まれているお陰で、中には、天候に恵まれて15日間連続登山ということも2度もあった。また、だいたいガイドブックの8割前後の所要用タイムで歩くことができた。

 単なるピークハンター的な山行は避けるようにした。初めから雨の日や雨予報の日は登ったことはないし、天候が悪いガス中登山も極力避けるようにした。その山の印象が残らないからである。しかし、天気予報が外れたり、やむなく強行したりして、展望のほとんどなかった山が15山ほどあるのが心残りだ。また、三百名山には、登山道のない山が5山ある。これらは、完登の見えてきた今年の4月下旬から5月上旬の残雪期にまとめて登った。岐阜県の猿ヶ馬場山、野伏ヶ岳、笈ヶ岳、群馬県の景鶴山、福島県の男鹿岳である。

○癌春人生の新たな目標として
道外遠征の経過
2005年・3回
2006年・2回
2007年・2回
2008年・4回
2009年・3回
2010年・4回
23山
27山
17山
72山
80山
56山
 左の表を見ても解るように、2008年から一気に加速している。この年は、2月に大腸癌が見つかり手術した年である。右の大腸(上行結腸)はすべて失ったが、幸い、転移も後遺症もなく、抗ガン剤の服用も必要なかったので、すぐに山に復帰することができた。癌春人生の新たな目標として、完治宣言の出る5年間での完登を強く意識するようになり、三百名山を中心とした山行が増えていった。残りが少なくなっていくつに連れてペースが上がり、後半の3年間で200山以上登ってしまった。不謹慎だが、不労所得の火事太り的なガン保険が軍資金となったことも大きい。

 詳しい経過は、「日本三百名山紀行」を参照のこと

○北海道から出掛けて行くリスク
 本州には「日本三百名山」を完登した人も多いし、実際、山行中にも三百名山巡りをしている本州の多くの人たちに出会った。百名山はともかく、それ以外の山で出合った地元ナンバーでない車の方に聞くと、その殆どは、三百名山巡りの人だった。こちらの函館ナンバーを見て「北海道からですか?」と驚かれることも多かった。

 確かに、北海道から出掛けて行くとなると、経費節減と移動効率を考えての車中泊生活ではあったが、往復の移動距離が長くなるために、ガソリン代はもちろん、しょっぱい川を越えるためのフェリー代が一番高く付いた。しかし、2年前から始まったETC休日割引には助けられた。山の多い長野県や岐阜県方面へは何度も通ったが、1000円で済んだことも多い。しかし、一度ETCカードを忘れて、泣く泣く16,000円を払ったことがある。平日は、時間的余裕と体力にものを言わせ、極力一般道路を走った。

○同行者の出現
 HPやブログで毎日更新して歩くので、それをチェックしている道外の岳友の駆け付け同行も22山を数える。栃木県のKa女史とSa女史、東京の牧氏、埼玉県のSa氏や横浜なにわやさん、新潟県の幼馴染みのNiさん、四国遍路でもお世話員なった愛媛県の法起坊見習いさん、群馬県のSa氏には、前日のブログで記した登山口を変えたために山の反対側から掛け付けてくださったり、2度目は、車のリアウインドーを壊して、修理の手配やその間の車の借用など、ことのほかお世話になった。さらに、夏の暑いときは頭痛を起こす妻も、涼しい晩秋から初冬の簡単な山には付き合ってくれて、改めて数えたら54山もあった。

○付随的な観光も
 山旅とはいえ、当然、日本中の都道府県を余すところなく駆け巡ったので、北海道では触れることのできない歴史、風土、文化なども大いに楽しむことができた。特に北海道では、中世・近世の歴史に触れることはほとんどないと言っても過言ではないが、道外には、それが満ちあふれている。
 
 お陰で、移動途中や雨の日の停滞日や早めに下山したときの観光は大いに楽しむことができた。特に、その土地ならではの歴史・風土・文化に触れることができる博物館や道の駅(ここでの車中泊が多い)には極力寄るようにした。さらには、昔の街道の「○○宿」などはその街並みを見て歩くだけでも幸せだった。
 
○道外の山の魅力
 自分が感じた道外の山の魅力を列挙すると、「その山の持つ歴史の深さ」「北海道には少ない岩山や白い花崗岩の山」「いろいろな登山道や縦走コースが多いこと」「植生の違いや北海道では見られない高山植物」「標高の高さ」などである。
 
1,「山の歴史」・・・1200年以上も前に開山されたり、修験の山や山岳信仰の山だったりで、昔からの参拝道が今も登山道として生きていて、それらの面影を偲ばせる遺跡や遺物が多い。また、登山道の一部が、古くからの峠越えの道だったりということも多い。さらに、山麓の人々の生活との結びつきの強さを感じさせる山が多いことも、北海道との違う歴史の深さを感じさせる。

2,「岩山や白い花崗岩の山」・・・北海道には少ない岩山や白い花崗岩の山が多い。特に北アルプス、南アルプス、中央アルプスなどで顕著であり、険しい山が多い。そのほかに、九州の大崩山の花崗岩の白い岩頭や岩峰が林立する姿は強烈な印象だった。新潟の荒沢岳や八海山、長野の戸隠山、群馬の妙義山、四国の石鎚山などもインパクトの強い岩山といっていいだろう。

3,「登山道や縦走路の多さ」・・・・古くからの山が多いこともあるが、ひとつの山にあちこちからの登山道があり、どのコースを登るかを選ぶのに苦労することが多かった。そして、独立峰でない限り、あちこちに縦走路が巡らされていて、それらに対応するための避難小屋と営業小屋が充実している。車で移動するために、元に戻ることができる循環縦走以外は縦走できないのが悔しいくらいだった。

4,「植生の違いと北海道では見られない高山植物」・・・・樹木はシラビソとコメツガとブナが非常に目に付く。特に南アルプスなどは、北海道の旭岳より高い2500m辺りまでこの林に覆われていて、高山にいる感じがしなかった。これらのほかに、西日本の山の常緑樹の多さ、北海道では目にすることのないいろいろなツツジやシャクナゲの花も印象に残る。
 高山植物の花は、北海道で見られるものはほとんど見られるが、そうでない花を見つけるとうれしくなり、極力カメラに収めて、調べるようにした。特に、新潟県北部でしか目にできないヒメサユリは、それを見るために敢えて梅雨時に出掛けたが、空梅雨で予定以上の山を巡ることができた。また、時期的に諦めていたキタダケソウとの対面は、まだ目にしたことのないアポイ岳のヒダカソウや崕山のキリギシソウも同じ仲間であるだけに、うれしかった。

5,「標高の高さ」・・・・国内の3000m峰はすべて三百名山とそれらを結ぶコース上に含まれている。さすが、3000mを越すと、森林限界の高い南アルプスでも、開放的な頂望と高山植物の花々が多い。そういう視点からすると、概ね向こうの3000m級の山は、北海道の山の2000m級の山と同じである。逆に考えると、道内の1000m級の山でも向こうの2000m級の山の魅力があると言うことである。

○再認識できた北海道の山の魅力
 こうして道外の主立った山を登り終えて思う北海道の山の魅力は、「原始性が残り、登山の醍醐味を味わうことができること」「一面に咲き乱れるお花畑の広大さ」「森林限界が低いので、向こうの山より1000m低い山でも、同じくらいの高山の雰囲気を味わえること」などであろう。
 「三百名山巡りをすると、百名山の選ばれた訳がよく解る」と言った人がいる。確かにそれは言い得てはいるが、道外でも意外と二百名山に、岳人好みのする良い山が多かった。北海道でも、道内岳人にとっての二大人気のカムイエクウチカウシ山とニペソツ山、さらに、芦別岳、ペテガリ岳、石狩岳、夕張岳、駒ヶ岳などは二百名山である。これらは、自分としては、深田久弥さんに変わって、「日本百名山」にぜひとも加えたい山である。ちなみに、深田久弥さんが『日本百名山』を発行した後に登ったニペソツ山は、すぐにでも入れ替えたかった1の山だったそうだ。しかし、それが叶わなかった内に亡くなられたそうである。
  
 これらのほかに、道外にあったら、絶対三百名山に選ばれていたと思う山(登山道のある山のみ)を独断で列挙すると、雄鉾岳、遊楽部岳、乙部岳、大平山、積丹岳、徳舜瞥岳、恵庭岳、空沼岳、黄金山、楽古岳、ピパイロ岳、1967峰、コイカクシュサツナイ山、1839峰、イドンナップ岳、十勝幌尻岳、チロロ岳、芽室岳、富良野岳、美瑛岳、忠別岳、愛別岳、黒岳、ウペペサンケ山、武利岳、カムイヌプリなどである。
 
○印象的な山
 ひとそれぞれに印象に残る山の観点は違うかも知れないが、自分にとっては、「登り応えのある険しくハードだった山」「山容の美しさ」「岩稜の魅力」「山全体の重量感とボリュウム」「山の歴史」「個性的な山」「高山植物と紅葉」などである。

 その観点毎に、主観的ではあるが、10山ずつ挙げると次のようになる。
1,「登り応えのある険しくハードだった山」〜笊ヶ岳、大無間山、北岳、槍ヶ岳、剱岳、飯豊山、大朝日岳、谷川朝日岳、鹿島槍ヶ岳、カムイエクウチカウシ山
2,「山容の美しさ」〜富士山、槍ヶ岳、高妻山、笠ヶ岳、北岳、鹿島槍ヶ岳、鳥海山、利尻山、ニペソツ山、カムイエクウチカウシ山
3,「岩稜の魅力」〜剱岳、槍ヶ岳、奧穂高岳、瑞牆山、南駒ヶ岳、空木岳、石鎚山、戸隠山、妙義山、大崩山
4,「山全体の重量感とボリュウム」〜剱岳、奧穂高岳、五竜岳、薬師岳、御嶽山、宮ノ浦岳、石鎚山、カムイエクウチカウシ山、トムラウシ山、飯豊山、阿蘇山
5,「個性的な山」〜妙義山、大崩山、瑞牆山、戸隠山、槍ヶ岳、剱岳、谷川岳、黒部五郎岳、燕岳、ニペソツ山
6,「信仰の山としての歴史を感じる山」〜白山、富士山、御嶽山、大山、石鎚山、英彦山、山上ヶ岳、高千穂峰、飯豊山、月山
7,「高山植物と紅葉」〜(これは登った山の季節が違うので選定は止めた)
 
○自分の選ぶ30名山
 上記の観点に自分の好みや想いを付加して総合的・主観的に選ぶと次のようになる。
10名山〜剱岳、槍ヶ岳、北岳、富士山、奧穂高岳、石鎚山、鹿島槍ヶ岳、大崩山、カムイエクウチカウシ山、ニペソツ山、
20名山〜白山、飯豊山、白馬岳、瑞牆山、甲斐駒ヶ岳、御嶽山、空木岳、大朝日山、トムラウシ山、利尻山、
30名山〜宮ノ浦岳、黒部五郎岳、五竜岳、鳥海山、木曽駒ヶ岳、塩見岳、妙義山、八ヶ岳、笊ヶ岳、羊蹄山、

※詳しい遠征経過や個々の山行記録は下記からどうぞ!
「日本三百名山紀行」



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