第27回湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会
85km参戦記  12,02,26

6年ぶりに復活の85km・・・極寒と強烈な向かい風との戦いの超過酷なレース展開だった

天 候曇り
気 温スタート時   −15℃
ワックス

(効果)
base gallium ハイブリットベース
top gallium AXF10+AXF20(1:1)
(前半渋く、後半まあまあ)
記 録 7時間06分30秒
1km換算ラップ 5分
丸瀬布(37km) 2時間40分
遠軽(60km)  4時間40分
順 位135位/480名(男女混合総合順位)
 6年ぶりに復活した国内最長のこの大会は、標高670mの旧白滝村(現遠軽町)の北大雪スキー場をスタートし、白滝市街地の西側から湧別川沿いに丸瀬布〜遠軽〜ゴールの上湧別までの85kmを滑走する大会である。

 2007年の大雨で、コースのあちこちが流失して、85kmの部はなくなったが、距離を短くして続けてきた大会だった。しかし、その間、自分は参加していなかった。それが、今年復活したので、「十勝大平原クロカン」と日程が重なったが、こちらに参加することにした。ちなみに謳い文句となっている「100km」は駅伝の部である。

 距離は長いが、標高差650mの概ね下りのコースなので、「札幌国際50km」よりは楽な感じで、エードも充実していて楽しみの多い大会である。2004〜2006年の3年間参加してきたが、いずれも6時間を切ってゴールしていた。しかし、距離が長いだけに、そのときの気象条件等で大幅にタイムや順位が変わるのがこの大会の特色でもある。

 2004年と2005年は、ほぼ同タイムの5時間40分でゴールしたが、参加人数はほとんど違わないのに、300位と201位と100番も違っていたし、2006年は、暖かくて良く滑る上に、ずっと強い追い風が幸いして、1時間近くも速い超高速レースの4時間45分だったのに、順位は232位と前年より落ちていた。しかし、ここ数年は、「札幌国際50km」で4時間を切れなくなったので、今年は6時間を切ることは難しいだろうとは予想して参加した。

 妻も同行したいというので、前夜は「層雲峡氷瀑祭り」見物がてら層雲峡の「湯元銀泉閣」に泊まって、自分だけ早朝車でスタート地点に向かい、妻は、ゆっくりとバスとJRを繋いでゴール地点へと移動してもらった。

江別のHasさん提供〜後ろから二人目が私。私の後ろ姿が見えたので、
写そうと思い、カメラを用意している間に間に一人が入ってしまったらしい。

 参加してみて、ちょっと寂しかったのは、6年前までは、85kmの部だけでも、長距離指向のスキーランナーたちが全国から1300名前後も参加していたのに、今回は480名と半分以下に減っていたことだった。

 スタート時の気温−15℃、風が強く体感気温はもっと厳しい。寒さ対策にいつもよりハーフパンツとTシャツとネックウォーマーを着け、手袋にホッカイロ・・・それでも最後まで寒さに震え放しだった。

 気温が低いと滑りが悪い。おまけに海に向かって進んでいるのに、終始その海側からの強烈な向かい風。長い間出場している人の話では、「これまでで一番過酷なレースだった。」とのこと。 自分も本当にきつかった。前3回はいずれも6時間を切っていたのに、7時間06分という最悪のタイムだった。しかし、条件はみんな同じなので、順位は134位/480名で一応1/4強だった・・・このウルトラマラソン並みの85kmは、さすが若い人が圧倒的に多い。改めて大会要項で数えてみたら、私より高齢者はわずか23名しかいなかった・・・「これで、この順位なら満足しても良いだろう、また来年も参加してみよう」と気を取り直すことができた。

 カメラ持参でスタートしたが、寒くて、辛くて、余裕がなかったこともあり、撮ったのはスタート前の1枚のみだった。(したがって、最初のスタート前の1枚と妻が携帯で撮ってくれたゴールの1枚以外は全て過去の写真。3枚目の右の写真は江別のHaさんが送ってくれたもの)。

○7:30 北大雪スキー場をスタートし、白滝を抜け、丸瀬布まで標高差470mの37km

 スタート地点に並んでみて感じたのは、6年前の半分もいない参加者の少なさであった。前から2/3ほどの位置からスタートしたが、直後の登りを登り切っても、その先に長く続く滑降レース状の列が短かった。この間は、いつもなら滑降レースもどきの疲れをほとんど感じない大好きな高速レースのはずだったのだが・・・・。

 気温が低いので、滑りはイマイチな感じなのは覚悟していたが、スタート後7kmほどは滑降レースもどきの大好きなところである。おおむね他の人より滑っていて、ノンストックのスケーティングでどんどん追い越して前へ出ることができた。スタートして、間もなく、横に並んだ方から「坂口さん、お久しぶりです!」との声が掛かる。197番の方だが、サングラスで顔が判らない上にあご髭まで生やしている・・・「誰だろう?」と思いながら、ゴール後、大会要項で確かめたら江別のHaさんだった。
 
 湧別川沿いのコースへ下りて、斜度が緩むと、一歩一歩踏み込むたびに雪がギシッ!ギシッ!と音を立てる。雪温の低いとき特有の体力消耗の激しい滑りとなる。追い越す人数と追い越される人数がそれほど変わらないところを見ると、滑りの悪いのは自分だけではなさそうだ。いつもなら20km地点の旧白滝のエードはパスしていたが、ここまでが非常に長く感じた。スポドリを飲んで再スタート。

 ここから丸瀬布までの17kmの間が一番苦しかった。寒さに体が固まってしまったのか、肩は凝ってくるし、滑らない上に、向かい風が強くなっただけでなく、体がフラフラして、視界もなんとなくボーッとした感じになる。なんでもないところで転んだりもした・・・「なんか変だな?体が変調を来したのだろうか?こんな調子で完走できるだろうか?」と不安になりながらも、ひたすら黙々と単調なリズムを刻んで行く。
 
 新しいコース部分もあるので、あちこちに記憶にないコースやアップダウンがあり、小さな川には、このコースのために臨時に架けたと思われる工事現場の鉄柱を組み合わせた橋もある。85km復活の努力に頭が下がる思いだ。

 いつもは、それほどでもない丸瀬布のエードが待ち遠しくてしようがない。丸瀬布太鼓に迎えられてようやく到着。思わず、スキーを脱いで椅子に腰掛けてしまう。過去には経験のないことだ。タイムも予定より30フン以上も遅れている。おかゆや温かいソーメンや温かい飲み物を口にして、5分ほど休んだら元気が出てきた。

○丸瀬布から遠軽までの23km

 滑り始めたら、体調が戻っていた・・・どうやら、朝食が、ホテルでもらったおにぎり2個だけだったので、エネルギー切れで、低血糖症状を起こしていたような感じだった・。気温も−9℃と少し上がってきたようで、滑りも良くなってきたので、気持ちを切り替えて滑走を続ける。

 次のエードでもエネルギーを補給する。ここで食べたお汁粉がうまかった。鼻水が流れているのを見かねた女性が、ティッシュで鼻水を吹いてくれた。その女性が、「これを食べて!」と言って渡してくれたたくわんが意外と美味しかった。

 遠軽が近くなってくると、河川敷のコースとなってきて、滑りが非常に良くなってきた。ようやく楽しい滑走ができるようになった・・と喜んだら、徐々に向かい風が強くなってきた。やがて、遠軽のシンボルの巖望岩が見えてくると、60km地点の遠軽のエードが近い。温かいうどんを楽しみに頑張る。

 ようやく遠軽のエードに到着。すでに、最高の条件だった2006年のゴールタイムに迫っているが、あと25kmも残っている。ここまでで、予定タイムより45ほども遅れていた。

 ここでは、いつもスキーを脱いで、温かいうどんを食べるのを楽しみにしている。炭火の焚かれたビニールハウス状の中の椅子に座ってうどんを食べた。そのほかに、温かい紅茶と小さな大福を2個食べた。

○ゴールの上湧別までの25km

 滑りも良くなってきたので、ゴール予定タイムを6時間半に修正して、スタートしたは良いが、まともに海側から向かってくる風が半端でない・・・。スキーは滑っているのに、前へ進まないもどかしさと闘いながらの我慢の滑走が続く。

 広い畑の中を進んでいるときには、ブリザード状態で、コースが見えない上に、消えているところもある。コースを見失って深雪に突っ込んだところもあった。いつもより参加者が少ないので、遠く離れた先にポツンと一人の選手の姿が見えるだけで、荒涼とした大地の中で孤独と闘っているような錯覚に陥る。しかし、後ろを振り向いたら、続々と続いてきているので安心する。

 途中で追い越された人の後ろについてしばらく滑走を続けたが、その人の前へ出たら、まともに風を受ける。「やはり風避けになっていたんだ」と気づく、後ろに回った方が良いと思ったが、すぐに変わるのも失礼なので、しばらく我慢した。そのうちに疲れてきて、後ろに回ったが、だんだん離されてついて行けなくなってしまった。

 いつもは、方向を変えて、向かい風を受けることが多い「あと5km」からは、逆に追い風となって、ゴールを目指す。あと1km地点で、予定より1時間以上も長い間待たされているはずの妻に携帯から電話を入れる。その時点で7時間となってしまった。

 「ゼッケン71番、坂口さん、函館市からの参加です」という放送に迎えられてゴールのグランドへと入っていく。

○ゴール後の満足感だけが支え?

 妻に迎えられて、ゴールできた安堵感だけで、7時間を超える辛い戦いに終止符を打つことができた。いつもは、すぐにエードでうどんや豚汁などを食べるのだが、とにかく寒いし、椅子に座って休みたい。食い気は二の次・・・まずは、スタート地点からトラックで運ばれてきたウィンドーブレーカーを受け取るために、文化センタートムの中へ。

 椅子に座って休んだ後、記録証を受け取りに行く。タイムは遅かったが、順位が134位と、思ったより上位の全体の1/4強の位置だったことに少し救われた。しかし、本当に辛いレースだった。いつもは、もっと楽しむ余裕があったのに、寒さと向かい風にその全てを奪われてしまい、いつもより長時間苦しさとの闘いだけに費やした感じだった。先にゴールしていた選手たちも、みんな1時間以上も遅かったようだ。

 今回とまったく逆で、気温が高くてスキーがよく滑り、ずっと送り風だった2006年と比べると、まさに天国と地獄だった。そのときより2時間20分も余計に苦しんだことになる。同じコースなのに、条件が違うとこんなにもタイムが違うのは、クロカンスキーならではの特色でもあり、面白さでもあるのだろう・・・。

 いつもは辛いながらも、滑走の楽しさを味わうことができ、85km滑走できた満足感が大きいのだが、今回は、「なぜ、こんな遠くまできて、こんな苦しい思いをしなくてはならないのだろう?」と思ってばかりいた。考えてみれば、6年ぶりの参加ということは6年歳を取っているということだ。この年齢になっての6歳は大きい。その間、2回も大腸癌の手術で腹を切っている・・・そんな自分が、この長丁場に挑戦し、完走できたことだけでも良しとしなくては・・・・と思ったら、「来年もまた出てみよう!」という気持ちが徐々に大きくなってきた・・・。

 スタート地点までの車の回収バスが30分ごとに出ている。その15:00が迫っていた。それを逃すと、今晩の宿への到着が遅くなってしまうので、ゴール地点のエードへは戻らずに、バスに急いで乗り込んだ。同じバスに、今年ほぼ同じ大会で顔を合わせていた苫小牧のSaさんや、スタート直後に声を掛けてくれた江別のHaさんも乗り合わせていた。

○完走祝いは、またまた「民宿・船長の家」

 ゴールからスタート地点までのバスも1時間30分も掛かった。車回収後、宿泊先である旧常呂町(現北見市)の「民宿・船長の家」へ移動に2時間掛かった。

 2005年と2006年にも泊まっているが、妻の希望で、今回もここに泊まって、完走祝いをすることに・・・・85km完走は出来ても、ここの料理の完食は絶対に不可能。今日も24品出たが、毛ガニと大鍋のタラバは手を付けずに持ち帰りにした。
 
 泊まり客の中に、やはり同じ大会に出場した恵庭の若い自衛隊チームの5人がいたが、この方々も完食はできずにカニを持ち帰りにしていた。宿泊者のほとんどはリピーターの感じだった。

 食後、元プロスポーツ選手で現在は専属トレーナー?でもある妻に、あちこち凝りをほぐしてもらったり、マッサージしてもらって、コタコタになって眠りに就いた。

大会成績一覧
480人エントリーして、完走した選手は308名、完走率69%・・・それだけ厳しいレースだった!



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