北海道「百名山」118座完登を振り返る

◎北海道の「百名山」が118座あるのは、なぜか?

  それは、『新版 北海道百名山』(山と渓谷社)<2003年発刊>と、『北海道の百名山』(北海道新聞社)<2000年発刊>に選ばれている山が、合わせて118座あることによる。

  すなわち、どちらにも共通に選ばれている山82山、共通でない山がそれぞれに18山あるというわけである。
ただし、2003年に『新版 北海道百名山』となって改訂され、8山入れ替わるるまでは、119座であった。

  『新版 北海道百名山』(山と渓谷社)の特色は、登山道かそれに近いものがあり、自分が完全一人歩きで踏破できたように、割りとメジャーな山ばかりであるのに比べて、『北海道の百名山』(北海道新聞社)は、登山道のない山も含まれていて、積雪期や沢登りでしかアプローチできないレベル的に高い山も選ばれているのが、その特色の違いであろう。

◎まずは、1993年に発刊された『北海道百名山』(山と渓谷社)の「完全一人歩き完登」を目指す。

 老化防止と健康維持のために山を始めたのが1992年である。山と渓谷社から『北海道百名山』が発刊されたのは1993年であるが、そのころは、まだその存在すら知らなかったし、ましてや、その完登などを意識するなどというレベルでなかった。

 登りたい山や登れそうな山を『夏山ガイド』を中心に選び出して、「初めての山は一人歩きで」にこだわって登り続けていたが、『北海道百名山』の完登を意識するようになったのは、自分の登れそうな山や登りたい山をだいたい登り尽くして、目標を失い掛けていた1997年である。たまたま、これまで登ってきた山をチェックしてみたら、1997年までに百名山のうち93山登っていたので、どうせなら残り7山も一人で登り、「完全一人歩き完登」を、1998年以降の新たな目標として、設定することにした。

  1998年にその完登を目指し、函館から最低4泊5日は必要なので、夏季休暇利用しか計画できないために2年連続悪天候で途中撤退している日高の1839峰をそのゴールに据え、6、7月に多く残している「道北」の低山をかなり無理をして駆け巡った。そして、迎えた7月下旬、「3度目の正直」にかけ、ゴールとなるはずの念願の1839峰は、登山口で2晩粘ったが時間切れとなり、「2度あることは3度ある」の結果に終り、リーチ状態は年を越した。
  この9月にHPの開設することになったので、その題名を『北海道百名山』の著者である梅澤俊氏の了解をいただき、 『一人歩きの北海道百名山』と命名した。

 1999年7月下旬、不退転の気持ちで臨んだ4度目の1839峰であったが、やはり天候に恵まれず、道中誰とも会わず、展望のまったくないガスの中の頂上に立ったのが、『北海道百名山』完全一人歩き完登の瞬間である。この年で、初登頂の山は148山となった。

◎次に、『北海道の百名山』(北海道新聞社)の完登も視野に入れ、北海道「百名山」118座完登を目指す。

 翌2000年に、たまたまタイミングよく北海道新聞社から『北海道の百名山』が発刊された。この時点で、未踏の山をチェックしたら、漁岳、浜益岳、群別岳、チトカニウシ山、ピンネシリ、野塚岳、札内岳、ピリカヌプリ、海別岳、函岳、北見富士(留辺蘂)、武佐岳、西別岳、知床岳の14山であった。登山道があっても遠いので未踏なのはともかく、そのほかの多くは登山道がなく、沢登りや積雪期でなければ登れないハイレベルの山も多く含まれていて、自分のレベルでは完登は難しいだろうと考えていた。

 しかし、沢登りは無理だが、得意のスキーを生かしての踏破ならかなりの山を狙えそうに思い、これまでの自分に課してきた冬山の禁を破り、好天時の日帰り限定という条件で、2000年から山スキーに足を染めることとなった。その年のGWは残雪期の春山三昧で、チトカニウシ山、ピンネシリ、浜益岳の3山を潰した。ただ、浜益岳のときに偶然お互いに初登頂ねらいの同行者ができたので、それ以降は一人歩きにこだわらないことにした。

 ただ、一人歩き完登にこだわらないが、経験者に連れて行ってもらってまでの完登だけは避けたかったので、同行者はその山がお互いに初登頂となる人間だけに限定することにした。情報獲得に最も重宝したのはHYMLであり、インターネットである。しかし、一人歩きの計画を立て、だめ押しの情報を得るために連絡を取った方がたまたま「その日なら・・・」と同行を申し出てくれたのが山スキーの漁岳と残雪期ツボ足の群別岳である。札内岳、北見富士、武佐岳、西別岳は一人歩きで潰すことができた。一人でもと計画していたが、たまたま山スキー上級者限定のHYML5人のオフミ登山の誘いがあったので参加したのが海別岳。あとの山スキーの函岳、簡単な沢登りの野塚岳、踏み跡利用の知床岳、完登の山となったピリカヌプリは、お互い初登頂狙いの同行者を得ての山となった。

 とくに、自分一人では不安なために、2002年まで残ってしまった野塚岳、知床岳、ピリカヌプリの3山は、それまで同じような山行スタイルを積み上げて来て、体力的にも精神的にも自分より優れ、誠実で謙虚な人間性が魅力のEIZI@名寄さんを誘っての山であった。特に、リーチの山となったピリカヌプリは、多く登られているヌビナイ川右股沢は高所恐怖症の自分には無理と考え、体力には自信のある二人だから可能と考えた稜線伝いの藪漕ぎで神威岳からソエマツ岳経由で狙った2003年夏は、日高地方に甚大な被害をもたらした台風10号に追いかけられ、これまでの二人の山で肉体的にも精神的にも最もきつい体験をし、ソエマツ岳のエスケープルートから途中撤退を余儀なくされ、這々の体で下山した。

 そして、迎えた2004年5月1日、残雪期の2泊3日で、トヨニ岳経由で狙ったピリカヌプリである。同行者は行きがかり上、どうしてもEIZI@名寄さんでなければならない。天候に恵まれて、まさに天国への綱渡りのような極細の稜線を怖々辿り、無事登頂を果たし、その日の内に1泊2日で下山することができた。

 ただ、「百名山」完登だけにこだわってきたわけではない、それ以外のすばらしい山にもたくさん登ってきて、2004年5月現在で初登頂の山は255山を数え、その全部をHPにアップしてきている。

 今後の目標をよく尋ねられるが、まだまだ北海道の山にこだわり続けてみたい。まだ未踏の山も再訪したい山も、ゆっくりと縦走してみたい山域もある・・・そんな山行を重ねながら、とりあえず、「北海道300山」を目指したい。



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