往路 | 地点 | 復路 |
5:00
6:05
7:50
9:10
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10:10 |
北戸蔦別岳
1856峰
1967峰
1911峰
(花撮影/昼食)
ピパイロ岳 |
14:45
13:35
12:15
11:20
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10:15 |
[5:10] | 所要時間 | [4:30] |
夜中、西風が強く、熟睡できないままうつらうつら状態で夜明けを待つ。
夏至をわずかに過ぎたばかりの朝は早い・・・3:30を過ぎるとピパイロ岳と伏美岳の間だから朝日が昇る。テントから顔とカメラだけを出してパチリ!(1)
さらに、反対側の朝日を受けて少しだけ山肌を赤く染める戸蔦別岳をパチリ(2)。しかし、カメラマンの法起坊見習さんは、テントから出て、斜面に伏せてシャッターを切りまくる・・・「ええ写真撮れたでぇ」・・・その粘りと根性に、案内役の二人はすっかり負けている。
そのまま朝食を済ませ、サブザックに必要最低限の物を詰めて、
5:00にはピパイロ岳へ向けてスタート(3)。
稜線の西側は西風が強くて非常に寒い。雨具の上を着込んだが、反対側を通るようになると、その風が遮られて太陽の恵みを受けて暑い。そのギャップに悩ませられながら、稜線上の道を進む。
東側には雪庇が崩れた雪の残っている部分があり、その上を歩くので歩きやすい(4)。5年前も反対側からこの稜線を歩いたが、そのときはもっと雪が多く、滑落しないように緊張しながらあるいたものだ。
ときおり昨秋のものと思われる熊の掘り返しもあちこちに見られる。
次々と現れる四国では見られない花々や北日高の大展望に法起坊さんは「すごいの〜!さすが北海道じゃの〜」を連発し、カメラをしまう暇がない。
1856峰を越えて振り返ると、主稜線の一番奥に盟主・北海道岳人の人気.1を誇るカムエクの雄姿も見えている。残雪が覆っている戸蔦別AカールとBカールの姿が非常に顕著だ。南に延びる山々にも白く見えるところがカールである。(5)。
この時期は、このように夏よりカール地形が非常に分かりやすい。北アルプスも南アルプスも歩いたが、これだけ多くのカールはなかったような気がする。これも日高山脈ならではの魅力であろう。 改めて日高山脈のカールの多さを再認識した。
1856峰を越えると、岩稜帯が続く。目の前に1967峰の前に行く手を遮るような迫力ある狭い岩稜が迫ってくる(6)。
北側はスッパリと切れ落ちているが、ハイマツが生えているので怖さはない。四角い箱を積み重ねた階段状の所もあったりで、楽しい岩登り気分を味わえるところである。
スタートして3時間弱で日高山脈第3峰の1967峰へ到着。小さな割れた板の標識が石の上に置かれているだけで頂上である。しかし、これさえも最近置かれたようで、5年前は針金で巻かれた石が置かれているだけだった。東隣にゴールのピパイロ岳が見えている(7)。標高がそのまま山名になっているのも日高の山ならではの特徴で、法起坊見習さんは感心しきり・・・。
ピパイロ岳西の肩の1911峰を越えると、ピパイロ岳までは岩稜が続く。この辺りに法起坊さんが見たがっていた花が少しだけ咲いていた(8)。
ところが風が強くて、我々は風が弱まったところで簡単にシャッターを切るが、こだわりのカメラマンはそうはいかない・・・その花の前にしゃがみ込んでカメラを構えて、風の止むのをじっと待つ・・・・とうとうリュックまで立てて頑張るが、思うようにならないらしい。先を行くたかさんは頂上へ進んでしまったようだ。
30分過ぎたあたりで、「もうこの上にはこの花はないんじゃろ、わしはここで粘るけん、頂上へは行かんでもいいから・・・・たかさんにそう伝えて!」・・・・。
仕方ないので、たかさんの待つ頂上へ急ぐ。実は、この頂上は
5年前に二人で一緒に踏むはずだったが、この山の手前の水場のコル付近で、たかさんが足に痙攣を起こしてしまい、自分だけが縦走の歩を進めた頂上である。
ようやく5年越しの念願のツーショットの記念撮影をして(9)、すぐに法起坊見習さんの所へ戻る。
戻ったら、まだカメラを構えていた。「なんとかええのが撮れたでぇ〜。すまんの〜」とのことだが、私たちが昼食を摂っている最中も粘っていた。
あとは、来た道を戻るだけなのだが、彼一人だけならもっともっとあちこちじっくりと撮りたい被写体があるようだ。しかし、戻りの時間もあるので、多少強引で申し訳なかったが、こちらに付き合ったもらう。来た道をまたのんびりと戻る。帰りは撮影も少なかったので、予定の15時前に戻ることができた。
夕食後の楽しみは、毎日変化する日没ショー。しかし、今日は太陽の沈む西側の下の方がガスで覆われていたので、期待できなかったが、やはりそうであった(10)。
昨日は満月だった月の様子を、法起坊見習さんが私のコンデジで撮ってくれたが、さすがにプロは違うと感心。しかも、月の欠けがやたらと大きいので変だと思ったが、下山してからそれは部分月食の最中の月を捉えたことが判明。期せずして貴重な1枚となった(11)。
<下の写真は、法起坊見習さんが1時間近く粘って撮ったさすがの1枚>
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○途中で出会った二人
スタートしてまもなく、反対側から進んでくる単独の男性が先頭のたかさんと話している。「後の人、坂口さんでないですか?」とのことだったらしい・・・なんと、
釧路のTaさんである。山で会うのはこれで5回目らしい・・・これほど山で会う人も珍しいが、それもすべて日高の山ばかり・・・。昨秋もエサオマン入りの沢を遡行しているときに、反対側から進んできた彼と会っったばかり。
帰りにも会ったが、彼は1967峰の西側にテントを張って七ッ沼カールまでピストンしたらしい。
もう一人は、本州から初めて日高へ入り、
10日間の日程でペテガリまで縦走するという単独の青年・・・「この時期は、まだ雪に埋もれている七ッ沼とエサオマン北カールを繋ぐ新冠川本流とエサオマン入りの沢の水量がまだかなり多いはずなので、その部分が無理かも知れません」・・・たかさんと二人で、そのことを話して、「戻ってくるTaさんも日高に詳しいので、その意見も聞くように・・・・」と話しておいた。
ところが、1856峰まで戻ると、テントが張られていた・・・その後、戻ってくるTaさんに聞いたら、「すでに縦走を断念して1856峰から幌尻岳までピストンして戻るらしいです。私も、坂口さんと同じ意見だったので、賢明な判断だと話しておきました。」とのことで、そのテントは彼の物だった。
夕方、テントで休んでいたら、幌尻から戻る途中のその男性がわざわざこちらのテントに声を掛けて、「いろいろありがとうございました。縦走はここで断念して、残りはまた機会をみて出直します。やはり水量の多い沢は怖いです。地元の方とお会いし、適切な情報をいただけたこと感謝してます。」と話されていた。なかなかの好青年である。「エサオマントッタベツ川から入ってペテガリまで繋ぐのは、日程さえ取れれば楽ですから、ぜひ実現してください。私は2回に分けて繋いでいますが・・・」と励ましておいた。