第21回湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会
85km参戦記  06,2,26

3回目の参加は、高温と追い風による超高速レースで、昨年より1時間近くのタイム短縮にもかかわらず、順位は30位ほど下がるが、これまででもっとも楽しい滑走であった。

天 候曇り
気 温スタート時 −4℃   ゴール時 +5℃
ワックス


(効果)
base gallium ブルー
top gallium AXF20:+AXF30=1:1
finish swix  セーラFC007焼き付け
(最後までバッチリ)
記 録 4時間45分08秒
(1km換算ラップ 3分21秒)
順 位232位/1345名(男女混合総合)
途中経過タイム 丸瀬布(37km地点) 1:54(1kmラップ3分05秒)
遠軽(60km地点)   3:05(1kmラップ3分00秒)
 (10分休憩)
上湧別(ゴール地点) 4:45(1kmラップ3分48秒)
 函館から車で550kmも走行し、北海道を斜め横断しなければならない遥か遠方の大会であるが、これで3年連続の参加である。3日前の予想気温は、遠軽で最高+4℃、最低−4℃と、いつも冷え込みが厳しいこの大会では考えられない高さである。スタート地点の標高と早いスタート時刻を勘案して、galliumのAXF20:+AXF30を1:1で塗って用意する。予備に、遠軽での許されている履き替えも考慮して、1週間前の「恵庭クロスカントリー大会」用に持っていったが使わなかったswixのHF8を塗った板を持参した。

 前日まで溶けた雪が冷えて、気温の上昇とともにそれが緩むはずなので、超高速レースが予想された。案の定、優勝タイムも過去21回を重ねる中での大会新記録であった。例年のごとくカメラ持参の撮影モード滑走の自分も、昨年より1時間近くも短縮して考えても見なかった5時間切りを果たしたが、順位は30位ほど下がるという状況であった。それだけみんながよく滑ったということである。お陰で、最後までワックスも合い、長距離滑走の楽しさを十分楽しむことができ、今シーズン最後にふさわしい大満足の大会であった。

 前夜はゴール地点の上湧別の道の駅で夜を明かすが、スキーの履き替えも考えて、車をゴール地点から、遠軽のエードの駐車場へ移して、遠軽から送迎バスに乗ってスタート地点へ。

 まず、スタート地点へスキーを置き、準備をし、小さめの大福を2個口にする。スタート地点で、これまで何度もハードな山へ同行いただいているEIZI@名寄さんと、昨秋の雄柏山以来の再会が叶う(1)。スタートの場所取りは、バスの到着時刻の関係で、現地へ直接来た人よりかなり後ろに並ばなくてはならない。スタート前5分には全員位置について、スタートの花火を待つ(2)。

 ○7:30 北大雪スキー場をスタートし、白滝を抜け、丸瀬布まで標高差470mの37km

 花火と同時に1300名を超す参加者がスタートする。ストート直後の急な登りを越えると、しばらくは、まさに滑降大会である。案の定よく滑る。滑りながらシャッターを切った後は(3)、後ろの方からスタートしたので、おもしろいように追い抜きながら滑降を楽しむ。

 上白滝付近で鉄道や国道を潜り、湧別川を渡って川沿いに出るまでのおよそ8kmはその滑降モードが続き、ストックワークを使うこともほとんどないので、体が冷えてどんどん寒くなる。しかし、その後は気温も高いせいか、徐々に温かくなって調子が出てくる。前後同じようなペースの1列滑走が続く中、追い抜いたり、追い抜かれたりが続くが、前半は追い抜く方が多かった。

 エードも2ヶ所飛ばし、ふと振り返ると、遥か前の方にいると思っていたEIZIさんが、珍しくエードに寄ってスタートするところであった。「遅いよ〜!」と声を掛け、先を進ませてもらうが、振り返るとどうやらワックスが合っていないようで、実力からは考えられない滑りである。彼の前を滑るのはどうも落ち着かない。2時間も掛からないで丸瀬布の市街地に入る。ここは生活道路の半分に雪を残して、そこを滑るところあるが、例年より雪が少ないようで、ところどころ路面や土が出ているところもある。大して疲れもなく、2時間も掛からないで、太鼓の音に迎えられて、丸瀬布のエードに到着する。ここで、スポドリとお粥を口にする(4)。

○丸瀬布から遠軽までの23km
 丸瀬布の市街地を抜けると、今回一部コース変更になった部分に差し掛かる。ここがコース中もっともきつい「430mの登り」であった(5)。登ると下りが楽しみなのだが、下りはあっという間に終わってしまうのが物足りない。

 この辺りから湧別川の広い河川敷を滑ることが多くなる。広々として気分は最高である。 河川敷から堤防へ上がる時に振り返ると、次々と後続の人がやってくる(6)。

 この辺りになると、かなり気温も上がり、雪も溶けてきているが、ワックスの状態はバッチリで、本来は最も辛いところであるが、快調に滑走を楽しむ。昨年より30分以上もも早く遠軽のシンボルである巌望岩が見えてくる。これが見えると遠軽のエードが近い。そこで待つ妻に携帯から電話を入れる。

 湧別川に架かる橋を潜ると、もっとも大規模な遠軽のエードである(7、中央私)。この3年間でもっともダメージの少ない状態での到着である。スポドリを口にしただけでも滑走可能な状態であったが、ここでは毎年、スキーを脱いで、ゆっくりだしの利いた肉うどんを食べるのを楽しみにしている(8)。

 妻に用意してもらった履き替え用のスキーでテスト滑走してみたが、ここまで60km滑ってきたスキーの方がよく滑るようなので、履き替えをしないでそのまま行くことにした。なお、ここでスキーの履き替えをする人は結構多いようである。なんやかんやで10分ほど休憩して、残りのゴールを目指す。

○追い風の遠軽からゴールの上湧別まで25km
 例年ここからは海風の向かい風となり、疲れた体に応える区間なのだが、今年は追い風である。それも、結構強い風である。後ろからできるだけ風を受けるように体を起こしての一定のリズムでの滑走に心がける。何人か追い越すこともできた。例年は、残り10km地点からの1kmごとの表示が減っていくのを励みに頑張るのだが、今回は、これまででもっとも辛くなく、滑走を楽しむ心境でその表示すらあまり気にならないのがうれしい。

 あと6km地点からの2kmほどが方向を180度変えるので、これまでの追い風が強烈な向かい風になる。覚悟はしていたが、疲れもそれほどないので登りモードの我慢の滑走である。残り4km地点で、時計を見てびっくりである。目標の6時間切りはおろか5時間切りが可能なタイムである。慌てて、今度はゴールで待つ妻に携帯電話を入れる。

 残り2km付近で、後ろにいると思っていたEIZIさんに追いつく。彼は、私がうどんを食べてゆっくり休んでいる間に、そこを通過したとのことである。相変わらず彼のスキーは滑っていない。あっという間に追い越して前に出てゴールを目指す。最後は生活道路から半周する感じのゴールエリアに入る(9)。ここへ来ると「ゼッケン205番、坂口選手、間もなくゴールです」という放送が入る。

 これまででもっとも滑走を楽しむことができ、昨年より56分も速い大満足のゴールである。例年はビンディングを外してくれる人と、順位札を渡してくれる人がいるのだが、今年はその両者ともいなかった。

 その後、すぐゴールしたEIZIさんと間もなくゴールした旭川のShiさんをカメラに収めて、預けた荷物や参加賞を受け取りに文化センターへ移動する。タイムは速かったが、順位は、多分、すべて快調だった昨年よりは良くないだろうとは思っていた。張り出された成績表を見ると、案の定、31位遅れの232位であったが大満足である。不本意な辛苦のレースであったろうEIZIさんは40秒遅れであった(10)。

 しばらくEIZIさん達とおしゃべりをして、今夜の宿である常呂町の民宿「船長の家」へ向かう。この民宿は、昨年もこの後泊まっていて、これで4回目であるが、毎回タラバカニや毛ガニを初めとする20品以上の海鮮料理が出る。85kmは完走できても、この料理を完食したことは未だにない。

○なぜか、「札幌国際スキーマラソン」の順位と不思議な相関関係が・・・ 
年度札幌湧別
2004304位300位
2005198位201位
2006228位232位
            
 今回で3回目の参加であるが、その順位に、「札幌国際スキーマラソン(50km)」との不思議な相関関係を発見した。それは、3回とも2週間前に行われるの「札幌国際スキーマラソン(50km)」順位と、どの年もわずか3〜4位しか違わないのである。参加者は札幌の方が約半分で、距離も、雪質も、コースも違うのに・・・・・。来年はどうであろうか?これがもっとも楽しみである。
  

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