25回 札幌国際スキーマラソン大会
50km参戦記
05,02,13

コンディションに恵まれ、苦しいながらも無理しないで滑りを楽しみ、目標の4時間切りを果たした上に、順位も予想だにしなかった200位以内で大満足!

天 候曇り(ときどき晴れ&雪)
気 温
雪 温
スタート時 気温−7℃
       雪温−9℃
ワックス

(効果)
base gullium ブルー
top  gullium AXFf20
finish セーラFC100焼き付け
(低地バッチリ!、高地まあまあ)
記 録 3時間53分18秒
総合順位 197位/670名
(1kmラップ換算 4分33秒)
25km通過時刻 10時52分
 札幌ドームが発着点のこの大会は、今年のエントリーも総勢(50km,25kmほか歩くスキー)で2,752名という自分の出場する大会では最も大きな大会で、これで、3回目の出場である。初出場の一昨年はスキーにエンジンが付いているような快調な滑りで3時間43分(212位/619名)、昨年は反対にサイドブレーキを引いたまま走っているような苦しい滑りで4時間19分(304位/646名)という極端な記録が残っている。今年は、先週の「おおたき」(15lm)の後、2回も結構ハードな山スキー登山をして疲れが残っていると思われるので、一昨年の記録更新は捨て置き、滑りを楽しみながらも4時間切りを目標に参加する。

 結果は、ワックスも合い、天候もまあまあで、苦しさは相変わらずであるが、長い登りでは苦しくてペースを維持できないで呼吸を整えるために何度も立ち止まり、2度の転倒もあったがなんとか目標の4時間を切り、3時間53分18秒でゴールすることができた(1)(写真は大会要項、記録賞、完走メダル、完走バッチ、完走賞品ほか)。翌日に、白旗山競技場の手前で声援を送っていただいたが気付かなかったKoさんから「すでに、webにリザルト(成績一覧表)がアップされていますよ!堂々たる197位ですよ!おめでとうございます」というメールをいただく。タイムは異常に滑った一昨年を10分ほど遅かったので、250位くらいと予想していたが、なんと完走人数が670名と増えているのに、順位が15位上がっているのには感激である。


 前日、札幌ドームで受付を済ませ、昨年泊まった美園にあるペンションを探す。昨年は素泊まり3,000円が魅力であったが、今年は5,000円に値上がりしていた。車をそこに置いて、地下鉄で久しぶりに雪祭り見物をする。

 ポイント予報を参考に塗ってきたワックスは2台のどちらもそれほど差がないので、gulliumのAXF20を塗った軽くてなめらかなアトミックの板の方に決める。

 この大会は、前年のタイムをもとにゼッケンが決まり、100番ごとに並ぶ位置が指定される。1284なので、1200番台の一番前に位置どる。スタート地点では、3大会連続再会となる四国遍路でお世話になったスーパー健脚大師こと北広島のTaさん(2)、ネットの掲示板でお付き合いのある稚内のSiさんや江別のKoさんとの初対面、そのほかに、これまで何度かお逢いしたことのある数人と懐かしい再会を楽しむ。

 今年の特別ゲストは、昨年の荻原健司さんに引き続き、弟の次晴さんである(3)。そのほかに、どこかのTVの中継なのか、そのスタッフと一緒にお笑いタレントの松村邦洋さんが来て、大きな声でエールを送っていた。毎年恒例になっているエアロビクス風の準備体操、上田市長や特別ゲストの挨拶のあとスタートである。

 1200番台の一番先頭に並び、スタートを待つ(4)いよいよスタートである(5)。まずは、広いスタート地点からまっすぐな緩い登りの狭い林道へと入っていく。スタート間もないところはどの大会も混雑するので、他人とぶつかって転ばないように気をつける(6)。中には転倒してストックを折って戻る人もいた。ようやく、2列になってまっすぐな緩い林道を登っていく。今年は50kmだけで40人もの外国人が参加していて、直ぐ前をフィンランドの選手が滑る。2m近い身長とお尻がこちらの顔の辺りにあるのではないか思うような足の長さの違いがやたらと気になる。ワックスは最高の状態であるので、2列の流れの少しの隙を縫いながら、どんどん前に出ていく。

 林道を登り切ってほっと一息つく。ここからは自分のペースで滑ることができる。さら登りが続くが、最初なのでまだ元気である。そのうちに大好きな真っ平らな直線のトドマツ林の中を抜け、西岡浄水場付近の住宅街へ向かっての下りになる。ここは一昨年は転んでいる人が多かったが、そのような人は誰もいない。西岡水源地付近を抜け10km地点を通過する。途中ラップは43分である。ゼッケンは1000〜1100番台の人が概ね昨年4時間を切った人たちである。なんとか最後まで1100番台の集団の中で滑れば、4時間を切ることができるであろうと思いながら滑走を続ける。

 10km地点を越えるとくねくねと曲がる林道の走りとなる。18km付近からの長い下りも好きなところである。その前の長い登りで、ペースを維持できなくなり、立ち止まって休む。その間、抜かれて行くが、今回は余り無理しないで滑りを楽しむことも狙いとしているので気にしないようにする。20〜30秒も休むと、呼吸が落ち着き、元のペースで登ることができるので、追い上げることができる。その後も、何度もそのようなことを繰り返すので、同じ顔ぶれと抜きつ抜かれつを繰り返す。小さな登りはその後の下りを楽しみに頑張れるが、どうしても長い登りになると苦しさが先に立ち呼吸困難になる。このコースは長い登りのアップダウンが多いので辛いコースの一つに数えられているようである。

 最初の給食所はパスし、16km付近のところで、初めてスポーツドリンクとバナナを口にする。その後の給食所には全部寄るが、途中の登りで立ち止まることが多いので、それほどゆっくりしないで、一口か二口で数人抜いて先に出ることが多い。いつもここまで来ると、終わりが近づく感じのする37kmの給食所ではゆっくりしてしまう。ここでは、スポーツドリンク、おかゆ、サンドウィッチ、シュークリーム、バナナを口にする。一番のきつい登りの手前の41km地点の給食所では、「できたてのおかゆだよ〜」の声に吊られてそれを飲む。温かくて塩味が利いていてお代わりしたいくらい美味しい。

 半分の25km地点の通過タイムは1時間52分であった。まあ、最後の8kmが下りなので、4時間は切れる可能性の高い妥当なタイムであろう。26km〜白旗山競技場まではおおよそ下りが多く好きなところである。31km付近の白旗山競技場へ入る手前で、TVの撮影スタッフと一緒のタレントの松村さんが「頑張ってください!」と声を掛けてくれるので、「代わりに走りませんか?痩せますよ!」と言ったら、唇をブルブル震わせながら首を横に振っていた。

 40km付近まで途中ずっと前後に、今年は諸事情でスキーマラソンに出場していないライバルの札幌のMaさんの師匠で、今春八雲から札幌へ転勤したShiさんの姿があった。昨年までは一度も勝ったことがないのに、先々週の北海道スキーマラソンで初めて勝たせてもらった方である。最後は40km付近の登りで休んでいるときに抜かれ、その後、ずっと後ろ姿を追いながら滑走するが、なかなか差を詰めることはできない。このコースの最難関の急登である43km付近の焼山への登りでも上の方にまだ姿は見えていた。

 一度も立ち止まることもなく、やっとの思いでその坂を登りきったときには、すでに彼の姿は見えなくなっていた。「さあ、ここから下りだ!追い上げよう!」と思って、調子に乗って急な下りをクラウチング姿勢で滑り出した途端に、ヨレヨレになっている足が言うことを聞かないで先が開いてしまい、最高のスピードで右前頭部からまともに大の字で転倒してしまう。ストックに手が固定されているので肱で庇うことができないし、スピードがないと膝を着いて庇うことも可能であるが、スピードのある下りはどうしても頭から行くことが多い。レンズ付きのサングラスの柄が外れてしまったので、それをウエアの腹のところに入れて滑走を続ける。

 標高が下がり、雪温の高いところに来るとワックスが非常に合うので、その後、最後の力を振り絞って転んだときに抜かれた人を全部抜き返し、さらにドームへ向かう緩い下りでは、かなり多くの50kmの人を追い抜いたが、とうとうShiさんの姿は捉えることができなかった。彼は3分ほど先にゴールしたらしく、ゴールで「お疲れさんでした!」握手を求められ、非常にうれしかった。

 3時間53分台でゴールでき、一応目標にしていた4時間切りは果たせたので満足である。翌日知った順位が一昨年を上回る197位だったのも思いがけずうれしかった(7)。途中何度も立ち止まるのは、そうしないで頑張り抜くか、それをしないためにもっとペースを落として滑走すればよいのかも知れないが、なかなか思うようにできない。立ち止まって呼吸を整えて追い上げるのも自分の特色の一つなのであろう。考えてみれば、自分の登山もペースを落とせないで、同じようにちょっと休むと直ぐに回復することが多い。

 しかし、ゴール後の太腿部や体へのダメージは、過去の大会でもっとも辛いものであった。最後の下りで頑張りすぎたのかも知れない。完走メダルをもらい、飲み物やパンをもらい、やっとの思いでドームの中へはいるが、思わず椅子を探して座ってしまうほどであった。帰りは小金湯パークホテルの新装した温泉でゆっくりと疲れを抜いて、帰路に就いたが、260km運転も辛いものであった。
 
大会リザルト(成績一覧表) 


「スキーあれこれ」目次へ   HOMEへ

inserted by FC2 system